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12年間務めた専大野球部の監督を退任することが決まった齋藤正直監督に最後のインタビューを行った。(インタビューは1月17日に行いました)

▲選手時代を含めた計16年間携わった専大野球部を離れた。
〇選手時代から母校の指導者になるまで
秋田高校から専大に進学し、1年の春季リーグから4番を務めた学生時代の齋藤監督。3、4年の秋季リーグでは優勝を果たし、2年連続で明治神宮野球大会に出場した。初出場となった3年次には過去最高の準優勝を果たした。
4年次にはプロ10球団から誘いを受けたものの、自身の決断により川崎製鉄千葉(現JFE東日本)に入社。入社後は12年間プレーをし、都市対抗野球9回出場した。引退後は同社・監督に就任し、4年間で都市対抗野球3回出場(準優勝1回、ベスト4が2回)と指導者としても輝かしい結果を残した。
その後は15年間、営業として社業に専念し、野球から離れた。しかし、30代後半の時に母校・専大から監督としての打診が舞い込んできた。断りを入れたものの、その後も何度も大学側から打診を受け、2014年3月(当時53歳)に野球部の監督に就任した。
監督という立場で伊勢原グラウンドに戻ってきて、選手との初顔合わせの時には「『この人誰だろう』みたいな。初日の挨拶でみんなが緊張していた」と鮮明に覚えていた。
〇引き留めた3人が大活躍 そして一部復帰後、最短優勝
齋藤監督が就任する前年は二部で5位、その数年前も二、三部の入替戦に臨むなど苦しい時期を迎えていた。「(部員たちが)野球に飢えていて、向き合えていなかったのを感じていたのは事実」。同時期には当時のエース・角田皆斗さん(平27・商卒)と渡辺和哉さん(平28・経営卒・JR東日本野球部アナライザー)、濱田竜之祐選手(平28・商卒・日本新薬)が「野球部を辞めたいです」と言ってきたが、彼らを説得して引き留めた。すると、同年秋には二部優勝を決め、青学大との入替戦に挑んだ。リーグ戦と同様に2戦先勝方式で行われ、3戦目までもつれ込む厳しい戦いとなったが、角田投手の3連投、渡辺選手の3戦連発となる本塁打で一部復帰を決めた。


▲引き留まった選手たちが立役者となった。角田さん(上)渡辺選手(下)

▲一部復帰を決めた試合の集合写真
翌春には当時56年ぶりとなる開幕6連勝と好スタートを決め、勢いに乗った。その後、國學大に勝ち点を献上したものの、単独首位で迎えた最終節・対拓大戦。初戦は快勝し、優勝に王手がかかった。2戦目は全学休講となり、多くの学生、学校関係者がスタンドから選手たちに声援を送った。
初回に濱田選手の適時二塁打で先制し、これが決勝打となった。投手陣は先発・堀田竜也さん(平30・経営卒)、大野亨輔投手(平28・商卒・三菱重工East)、高橋礼投手(平30・商卒・埼玉西武ライオンズ)が継投。26年ぶりの優勝を果たした。続く、全日本大学野球選手権大会では準々決勝・対早大戦に敗れたものの、ベスト8入りを果たした。

▲一部復帰後、最短で優勝を決めた
〇監督時代の思い出
12年間の監督生活の中で多くのプロ野球選手、社会人野球選手を送り出してきた齋藤監督。選手と過ごした様々な場面でのエピソードを語った。
リーグ戦の試合前日に登板することが決まった本間大暉投手(平29・経営卒・三菱重工East)は当日、いきなり頭を剃ってきて試合に臨んだ。「気合を入れて来たのに空回りして初回に5失点した」。指揮官も「お前の気合はいらん(笑)」と思わず笑った。

▲大野投手
練習面では渡辺選手と濱田選手が「何時間でもバットを振っていた。今の選手にはいないタイプの選手だった」とチーム内で一番の練習量をこなしていたという。さらに、夏場には監督が編み出した「専大8種」(素振りなど一連のメニューを1セットとし、一定時間内でこなしていく練習)を手がボロボロになるまで振り込んでいた。

▲濱田選手
大学時代に活躍する選手の共通点として挙げたのが“正直に嘘を言わない選手”だった。
「嘘をついて誤魔化す選手は伸びない。自分の名前は漢字で書くと正直(しょうじき)だから正直になってほしい」とユーモアを交えて話した。
さらに、菊地吏玖投手(令5・経営卒・千葉ロッテマリーンズ)、西舘昂汰投手(令6・経済卒・東京ヤクルトスワローズ)に対しては日頃から喝を入れていたという。「西舘は2年生の終わりの頃までふらふらしていて、菊地もいつも俺に怒られていた」。
しかし、その指導には意味が込められていた。「大概、他の大学では3、4年生は怒らないけど、まだまだ(選手たちは)発展途上だから大人になるまでは指導しないといけないと思った」。選手に対して自分事として捉えるという姿勢で選手と関わる事を意識していたのだ。

▲菊池投手と西舘投手のWエースを擁して二部優勝を果たした
〇あと一歩届かなかった二部優勝
2024年秋から5季連続2位と今年度も悔しい結果に終わった。特に、昨秋には期待していたエース・長島暖和(経営4・専大北上高)がコンディション不良で開幕戦の初回で降板した。「そこからバタバタしてしまって、途中から投手陣が立て直したけど、結果的には取りこぼすことになった」と悔しさが残る結果となった。その他にも昨春のプレーオフの時のように「シーズンのどこかでポイントになる勝ち方のところで勝てていない」と勝負強さが課題となった。最後の1年は創部100年に向けて良い報告ができるように過ごしていたが、叶わず当初の予定通り定年退職の形で監督退任となった。
2022年秋以来、二部優勝・入替戦出場から遠ざかっているが「勝負強さを身に着けていってほしい」と選手たちにエールを送った。


▲昨年度は春・秋ともに優勝にはあと一歩届かなかった
〇部員・ファンへ最後のメッセージ
最後に感謝のメッセージを送った。「学生、応援団のみなさんには感謝してもしきれないほど、自分自身励まされました。暑い中、授業もあったのに応援ありがとうございました。野球部員達にはこの応援が当たり前と思わないように、しっかり感謝をする気持ちを持ってほしいなと思います。12年間いろいろな人が応援してくれたのはありがたいです。退任にあたって感謝の言葉しかないです」 。

▲「野球を辞める」と監督に申し出てきた角田さんとも再会した
プロフィール
齋藤正直(さいとう まさなお)
1960年4月3日、秋田県にかほ市生まれ。
秋田高校から専修大学に入学し1年次春季リーグ戦より4番打者を務める。東都リーグでは3年次秋と4年次秋に優勝(ベストナイン2度受賞)。81年には明治神宮大会準優勝。
83年に川崎製鉄千葉に入社。同野球部(現JFE東日本)では、現役12年間で都市対抗野球大会9回出場。94年11月には監督に就任し、在任4年間で都市対抗3回出場(準優勝1回、ベスト4に2回)、社会人野球日本選手権ベスト4。その後、日本野球連盟競技力向上委員、日本オリンピック委員会強化スタッフを務めた。
2014年から専修大学野球部監督に就任。2015年6月 国際親善試合(東都大学野球連盟選抜VS韓国大学選抜)監督も務めた。2026年1月31日付で専大野球部監督を退任。
※一部引用
専修大学野球部公式HP
http://senshu-bc.moon.bindcloud.jp/pg258434.html
文=知地泰雅(文3)
写真= 門前咲良(文3)、倉林光琉(法2)

