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▲夏の1次合宿を走る具志堅
今年度新たに加わった1年生にチーム3人目となる島人ランナーがいる。具志堅一斗(経営1・コザ)だ。今季は5月に10000mで29分台を記録すると、6月の全日本大学駅伝予選会に出走するなど入学早々に存在感を見せている。現在は10月の箱根駅伝予選会に向け、長い距離を見据えたトレーニングを続けている。
▲6月の全日本大学駅伝予選会
陸上を始めたのは中学3年生
陸上を始めたのは中学3年生だった。うるま市立高洲江中学校に通っていた具志堅は、中学3年間をサッカー部に所属しながら過ごした。しかし、3年時に担任の先生に誘われて出場した陸上の大会で記録を出し、サッカー部を引退した後も大会になどに出場。その後、毎年1月に広島県で行われている全国対抗都道府県駅伝に沖縄県代表として出場し2区を走った。陸上長距離がそれほど盛んではない沖縄県では、他競技を行っていた選手が駅伝に出場することは珍しいことではないというが、それでもその年までサッカー部だった選手が1年の間に駅伝の全国大会出場を果たすという、運命を変えた年だった。
「ちゃんと陸上をやるのか」。中学3年生で陸上の大舞台を経験した具志堅だったが、元々進学する予定だった高校には陸上部がなかった。「(陸上部がなく)指導者もいない状態でやるのか、でもやるんだったら(陸上部があって)指導者と先輩とかノウハウがあるほうがいいんじゃないか」。葛藤の末、願書を提出する1週間前に家から通える範囲にある陸上部があるコザ高校への進学を決めた。
陸上部に入部 同級生は0人
コザ高校は専大陸上部で先輩にあたる山城弘弐(経営4・コザ)の出身校でもある。学年が3つ離れているため高校時代に直接のかかわりはなかったが、「山城さんは県内だと1番強かった。入学した時に山城さんを知っている先輩がいたので、その先輩から話を聞いていて、すごい先輩がいたんだなって」と存在は認識していた。そんなコザ高校での陸上生活がスタートすると思っていた矢先だったが、ふたを開けてみれば同級生は自分のみ。先輩も2年生が1人、3年生が3人とわずか5人の小さな部活動だった。加えて自身も入学当初は怪我が多く、うまく走ることのできない日々が続いた。
怪我がちの1年目だったが、トレーナーとの出会いが状況を変えた。「トレーナさんのお陰で怪我をしなくなった。一気に練習耐えられるようにもなった」と体へのケアが走りの強さを加速させた。5月に行われたインターハイの沖縄県予選では5000mで15分14秒、2位で突破。10月の県駅伝は1区を走り区間2位。極めつけは12月の日体大記録会だった。5000mで14分28秒82と14分半の壁を突き破り、大きく成長した。この記録会がきっかけで専大から声がかかり、今に至る。
大学での陸上生活
高校では近くに切磋する仲間が少なかった分、今の環境ではより多くの刺激が得られている。ポイント練習などでも1人で黙々と行っていた高校時代とは変わり、チームメイトと力を出し合う。「大学に来て先輩たちが強いので肩を借りるというか。きつい練習でも力を借りて付くみたいな感じで何とかやってます」。
大学生ならではの自由な時間が多いことも具志堅にとってはプラスだ。「疲労があったらペースを落としてジョグをしても良い。オンライン授業だと朝練終わって夕飯まで自由な時間が多いのでその間に走れる。暑い時間に走っても涼しい時間に走ってもよい。やりやすいです」。自ら考えて、走りながら強さを求めていく。
▲7月の記録会(写真右)
最終的には箱根を走って
「ここに来たからには箱根を走って卒業したい」と頷きながら話す。希望区間に強いこだわりはない。実は沖縄県では箱根駅伝はテレビ放送されていない。また中学までサッカー部だった具志堅にとって箱根は「言われてもなんかきいたことはあるけど…」という認識だった。それゆえ区間への細かい希望はない。しかし、これまで発揮してきた力は本物だ。
「まず予選会を走れないと本戦は戦えないので、走れる体を作っていきたい」。陸上人生5年目の具志堅が箱根を目指して地を蹴り続ける。
文・写真=相川直輝(文4)