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本編は4月2日発行予定の専Sation31号に掲載されていますので、そちらもご覧ください。
昨季に100周年を迎えた専大は72回目の箱根駅伝出場を果たした。往路終了時点で20位と厳しい現実を突きつけられるも、復路で巻き返して総合17位となった。今季は本選でシード権獲得を目指す。本選に出走した選手の声をお届けする。
▲箱根駅伝の報告会後
1区 新井友裕(文3・浦和実業高)
▲新井友裕
──2回目の箱根路で1区を走って。
「やっぱり特別な舞台だって感じましたし、選手を見てもトップレベルの選手が集まっているので、他の区間と比べてもかなり特別な場所というか、一番輝いている場所だなっていうのは思いました」
──最初のコーナーを先頭で走ったが、何か狙いはあったのか。
「最初2列目だったので、最初のコーナーで(先頭で)曲がるのは無理かと思ったのですけれど、運良く空いていたので思い切って前に出れた感じですね」
──周りがもっとついてくるのかと思った。
「関東学連の片川さんが前を引っ張っていただいて、それについていって周りもついていくかなと思って後ろを見ていたのですけれど、誰もついて来なかったので想定外で驚きました」
──レース途中から第2集団についていたが、レースプランは。
「もうあと3、4人ついたら(先頭で)行こうかなと思ったのですけれど、1人だったっていうことで、自分に自信がなくて不安になって後ろの方の集団に自主的に下がってしまったので、そういう形になってしまいました」
──状態は良かった。
「直前に状態が上がってきていかなり自信を持っていたのですけれど、逆に足が軽くて最初、前に来てしまって裏目に出ましたね」
──前回出場した時と今回の違いは。
「今回は事前にある程度調整することができましたし、そういった面で当日、実際にそこまで緊張せずに臨めてはいたんですけど、その中でも実力の違いというか、まだまだ自分に自信を持って臨めないと、箱根駅伝っていうのはダメだなというのは感じました」
──どんな調整をしたのか。
「合宿があって、その時は状態があまり良くなくて厳しいかなと思ったのですけれど、帰ってから最後の刺激っていう部分でしっかり合わせることが直前にできたのかなと思います」
──他大には多くのエース級の選手がいた。
「今年は秋頃からエース級の選手たちと戦うことが多いですけれど、そういう選手と戦うと自分はまだまだなのかなと思います。そういう選手たちは周りの状況が見えてますし、自分に自信を持ってるというか、レース前でも自分に集中して周りが見えているので、そういった面では自分は今回あまり周りが見えていなかったので、自分にも自信がなかったのでまだまだ足りないなと思います」
──専大の日本人エースとしてのプレッシャーはあったのか。
「そんなになかったのですけれど、エースとしては自信を持って臨んでいないと1区とか2区とか主要区間はまだ走れないかなと思います」
──自身の結果をどう捉えているのか。
「結果として自分は(区間順位)1桁までいきたいなと思っていて、区間19位になったので期待されていた分あまり良い結果と言えなかったですね」
──チームとしても往路20位、総合17位という結果になった。
「往路組は本当に2、3区と調子が良くて、僕と田口は苦しい形で出走となってしまったのですけど、上位までいけるかなと思った中であまり良い結果じゃなくて、復路もそうなってしまうかなと思ったのですけど、復路組も練習がかなりできていたので、復路組は切り替えて自分の走りができていたのかなと思います」
──今季の目標は。
「今年はやっぱ記録っていうのもありますけれど、箱根駅伝本戦を見据えるためには本番までに自信を持ってスタートに臨むっていうことが1番大事だと思います。今回、他校のエース選手たちの動きを見させていただいたので、そういった選手と同じように動じないメンタルや(他校のエース選手と競える)タイムを目標にやっていきたいと思います」
──具体的にどのように力をつけたいのか。
「タイムを出して自信をつけるっていうのはもちろんですし、今年は練習ができて自信を持っていけたことがあまりなかったので、練習からしっかりと自信を持った練習をすることができれば本番もかなり自信を持って望めると思います」
──専大トップランナーを目指す立場として。
「しっかり記録出すのはもちろんですけど、公式戦の全日本(大学駅伝)予選会で結果を残すことは大切だと思うので、今年はどの試合においても失敗がないように、専大はもちろん他校のエースの選手たもとしっかりついていくのではなくて、戦って勝てるような選手になっていきたいと思います」
▲一番輝いている特別な場所に帰ってきた異端児。最終年は専大トップランナーを目指し、自信をつけていきたい
2区 ダンカン・マイナ(商1・専大熊本玉名高)
▲ダンカン・マイナ
──初の箱根路を走る前に何を考えていたのか。
「箱根駅伝の前に私が考えたことは、練習もできていたので区間賞を取りたいと思っていました」
──花の2区を走って。
「2区は長くて走ることは楽しかったけれど、ちょっときつかったです。2区を走った人は俊足だったけれど、グループの中に入った時に走りやすくなりました」
──次大会へ繋げたいことは。
「今年はいっぱい大会があるけれど、今年の前半で一番大事なところは関東インカレだと思うので走りたいです。けれど、体を動かさないといけないので、2か月後くらいに(専大に)帰ってきたらスピード練習をして上げていけたらどこでも走れると思います」
▲初の箱根駅伝で2区出走を果たしたが、マイナ本人が納得する走りではなかった。今季の5月に行われる関東インカレに重点を置き練習に励む。
3区 上山詩樹(経済2・敦賀気比高)
▲上山詩樹
──初めての箱根路を走って。
「一番大きな大会っていうのを肌で感じました。みんなそこに合わせてきていて、合わなかったらもう戦えないというか、今回に関しては調子が合わなかったら全然戦えないし120パーセントを出す舞台なのかなっていうのを、襷をもらう前に(2区走者が)最後の坂を上ってきて倒れるところを見て思いました。力を出すだけではダメな舞台なのかなっていうのを実感しました」
──予選会後に肺気胸になったが本選までの準備はできたのか。
「今回出れたのは自分が(状態を)戻せたからであって、それによってどうこうっていうところは正直あまりないかなっていう風には思います。それによって箱根の結果が大きく違ったっていうことはないかなっていう風に思っています」
──肺気胸になって走れなかった時が「メンタル的にきつい時期だった」と話していたが、周りの人からどのような支えがあったのか。
「母と話すことが多くて、母には『ここが一個の試練』というか『順調に行くのではなくて、一個(困難を)乗り越えるための試練なんじゃない』っていう風に声をかけてもらったのは一番覚えてるかなっていう風には思ってますね。そういう弱音を吐いたのが母ぐらいでしたね」
──レースプランはどのように考えていたのか。
「箱根自体が初めてだったので本当にあまり考えていなかったというか、3区に関しては戦うところ、順位変動が大きいところなので、とりあえず勝つというところを目標にしてスタートラインに臨みました。タイムは薄っすら専大記録を絶対超えたいなっていう風に思っていて、できれば62分台以上は狙っていた感じです」
──専大記録を更新し区間12位で走り切った。
「専大記録に関しては絶対更新するっていう風に思っていましたし、区間(順位)も1桁を狙っていたのであまり嬉しくはないというか、結局順位もキープするだけになってしまったので、そこに関しては課題かなっていう風に思っています」
──走ってみて何が課題だと思ったのか。収穫はあったのか。
「課題に関しては全体的にラップタイムが遅かったというか、本当に力不足なのだろうなっていうのを思いました。全体的にペースが遅かったっていうところが課題です。収穫は意外と思っていた通りの走りができたっていうところが、自分自身に向き合ってしっかりと目標設定ができたのかなっていうところは良かったのかなっていう風に思っています」
──エースを目指していく上で来季はどのように力をつけていきたいか。
「今期の反省として通年で主要大会に出るっていうところはできたのですけれど、戦うっていうところができなかったので、記録会も含めてどの大会でも上位っていうところを目指したいです。だから、タイムも出していきたいですけど、着順っていうところにもしっかりと取っていきたいなっていう風には思っています」
▲専大記録更新、区間12位の成績を残したが力不足を痛感した。エースを目指す上山は更なる高みを目指す。
4区 手塚太一(経済3・那須拓陽高)
▲手塚太一
──レースを振り返って。
「レース内容だけを振り返ると、自分が想定していたというか、目標と設定した内容とは程遠い走りとなってしまいました。序盤から自分の走りができないっていう中で、3区の上山が集団の中で来て良い位置で(襷を)持ってきてくれてたのですけど、日体大さんと、後ろから東洋(大)さんが来ていて、結果的にその2人は区間1桁で走ってる人たちで…。序盤から自分もしっかり走ったのですけれど、抜かされていく中でついていけない焦りで良い動きができないなとズルズルいってしまった感じです。後半は遅れている中で最低限に(スピードが落ちてしまうのを)抑えることを意識して走って、大きすぎる崩れはなかったのですけれど、自分が求めた走りが最初からできなかったレースでした」
──監督から体の状態が良いと聞いたが。
「12月の練習ではメンバーの中で1、2、3区は上位の3人が(選ばれることが)固まっていた中で、それ以外の人の中で自分が1番走れて練習もできていたので、その中でよく入れて自分も自信持っていました。スタッフの皆さんからも期待してもらっていた中で、実際走ってみたらまだまだ戦えませんでした」
──初出場で緊張していた。
「緊張しているなとわからなかったのですが、動き出しの動きの悪さ的なところからも全然。記録会とかのレースと比べて、やっぱり緊張していたかなっていう感じです」
──沿道での声援を受け、他の大会との違いを感じたか。
「最初から声が途切れることなく応援してくれていましたし、目標として楽しんで走ろうと思っていたのですけれど、今回走った中だと本当に走れない人に申し訳なくなってしまうのですけれど、自分にとっては苦しく辞めたくなるような1時間でした。そういう面もあるんだなと知りましたし、楽しく走るには実力をつけて本気でやっていかないとダメだと思いました」
──今季に向けて。
「3年目はトラックシーズンの故障で走れなくなったところから始まって、結構走れない時期が多い1年となってしまいました。4年目で最後の1年となるので、年間通してしっかり怪我しないで走って、主要大会で自分は結果を残せていないので大舞台でもしっかり走れる選手になれるようにしていきたいなと思います」
▲初の箱根路は思い通りにいかず、苦しいレースとなった。ラストシーズンは「楽しく走る」ために力を付ける
5区 田口萩太(文1・東京高)
▲田口萩太
──初めての箱根路で最難関の5区で出走した。
「(5区出走が)急遽決まって、本当は5区を走る予定はなかったのですけど、急ピッチで合わせた形で、試走もコースの下にも1回軽くジョグをしたくらいで挑みました。ですが、やっぱりジョグと感覚が全く違うというか、しっかり準備をして調子も上がっていた中だったのですけど、コースがすごくきついっていうのがあって全く戦えなかったので、率直に言うと想像以上のきつさでやっぱり甘くないなっていうのは思いました」
──突然の変更だった。
「当日走るって決まったのは大体1週間前ぐらいでした。自分の中では5区走るっていうのは急遽決まったことではあったんですけれど、楽しみが大きくてわくわくしてました。ですけれど、思い返すと今回走って急に坂に入ってびっくりしたので、やっぱり準備が足りてなかったなっていうのを感じます」
──山登りは得意な方だったか。
「普段走ったりジョグを(大学の)周りでしたりする中で、コース内に起伏はあるじゃないですか。そこに関しての苦手は別に特にないかなと思うくらいで。実際にいつものジョグで軽く坂を上るのと、5区(で走ること)はやっぱり全然違うと思うので、山登りに関しては登りのコースで走れたという実績とかもないので、苦手ではないかなというくらいの感覚でした」
──考えていたレースプランは。
「自分の目標は4区までの流れを、急遽(5区出走が)決まって無理に自分が順位を上げようとはせずに4区までの順位をしっかり守るっていうのを目標にしていたので、他の大学さんで山が得意な方とか、ずっと夏くらいから山を練習していた方とかばかりいたので、後ろから来る場合とかその前を追っかけるっていういろんなパターンがあると思うのですけれど、今回に関しては自分の走り、自分のリズムでしっかり走りきるっていうので、もし後ろから仮に抜かされたとしても慌ててついたりとかしないで、後半に巻き返すパターンもあると思ったので、とりあえずしっかり集中して自分の走りをするっていうのをプランにしていました」
──ゴール付近ではたくさんの人に声援を送られていた。
「途中から苦しくなってしまって、特に後半はとにかくもらった襷を復路に繋げようっていう思いで走ったので、仲間からの声かけっていうのは救われたところもありますし、すごく申し訳ないなっていう風に思ってしまっていたので、応援や仲間の声っていうのに救われて、次は頑張ろうっていう風に思いました」
──選手達からも「ありがとう」と声を掛けられていた。
「みんなからは『ありがとう』とか『責任は感じなくていいよ』とか声を掛けてもらったのですけど、自分の中ではやっぱり(責任を持たないことが)無理なので、責任は感じた上でしっかりリベンジしたいと思います。今回は10人という少ない人数で選ばれて走った中で悔しい走りになってしまったので、申し訳ないっていう気持ちを持ち続けて仲間のためにチームでリベンジしたいなっていう風に思いました」
──陸上人生で大きな一歩となった。
「1年目から走らせてもらって、やっぱり悔しいって思いが一番大きいです。ですが、今思い返したら、もちろん区間1番で走れたら嬉しいと思いますし、もし区間10番とかで走れたらチームに貢献できたと思うのですけれど、今回は圧倒的な敗北だったのでその経験をした方が自分にベクトル向けて考えた時に、これからの飛躍とか成長に向けてすごく大きいなと思いました。逆にポジティブに考えると、あそこまでボロボロだったのはもう逆に良かったなというか、あれだけ悔しい気持ちを持ったので、これからの取り組みとか自分の中で変わってきているものがあって、そこはポジティブに捉えております」
──目標の花の2区で区間賞を取るために必要になることは。
「現段階だとやっぱ足りないものが多すぎるのですけれど、今回の5区も仮にそこまで山が得意じゃなかったとしてもある程度走力があれば押し切れるっていうのも事実なので、やっぱり一番は走力をしっかり今年、来年でトラックレースやロードでもタイムを出したいと思います。あとは今年の2区を見ていて、すごくハイレベルだったのですけれど、やっぱり勝負強さとか、特に青山学院さんの2区の方は時計をつけずにペースを決めて走るとかではなくてひたすら前を追いかけるとか、本能で走ってたっていうか、持っているものが他の区間の選手たちとは違うなっていう風に思ったので、チームの中で一番の主力区間を走るっていう自覚と勝負強さ、走力っていうところが大きいかなっていう風に思います」
──次の1年、どのように力をつけていきたいか。
「今年箱根駅伝で走った上で、今年の目標は箱根駅伝でリベンジするっていうのはもちろんなのですけれど、今年1年を通して出る全てのレースでしっかり魅せるというか、しっかり結果を出したいです。箱根駅伝だけじゃなくて、普段の練習や記録会、公式戦の全てで魅せることができたらチームからの信頼も大きくなると思いますし、エースになる自覚っていうのも芽生えてくると思うので、何より今回の箱根駅伝もそうですし、箱根駅伝の予選会もやっぱ悔しい思いをして終わってしまったので、今年に関してはその予選会、本戦に限らず全てのレースでしっかり自信を持って、もう二度とああいう今回のような悔しい思いはしないように、ちゃんと全部のレースで魅せていきたいなっていう風に思っています」
──次大会へ繋げたいことは。
「口で言うのは簡単だと思うのですけれど、自分自身に関しては練習を頑張れるっていう自信はあります。今回は自分ももちろんそうだったのですけれど、チームとして全然戦えなかったと思います。もちろん自分自身が頑張るのは当たり前なのですけれど、チームとしてもっと走力を上げていかないと、1人が走れても戦えないのが駅伝だと思うので、チーム全体で強くなるために、エースになる自覚というかチーム全体を引き上げるっていうような役割を広い視野を持ってやっていきたいなという風に思います」
▲成長著しい田口に箱根の山は厳しい試練を与えた。悔しい思いを胸にチームを引っ張る存在になることを誓う。
6区 丹柊太郎(人間科学2・松山商業高)
▲丹柊太郎
──初めての箱根駅伝だった。
「自分はメンバーに選ばれるのに必死だったのでそこにかなりの準備期間を割いて、選ばれてから走るまではすぐだったのですけれど、そこをもう少し準備する期間があっても良かったかなという感じはあります。けれど、初めての箱根なりにはまとめることができたかなっていう風に思いますし、往路の流れが悪かったので(復路)一斉スタートから仕切り直しで、自分がしっかり専大に勢いをつけて襷を渡せました。自分と具志堅(=具志堅一斗、経済2・コザ高)のところで最下位を脱出したいなっていう風に思っていたので、なんとか上手く2人で脱出できて良かったなっていう風に思います」
──希望していた6区を走れたがどうだったか。
「希望区間を走れたのは本当に嬉しかったですし、初めての箱根駅伝でもっと(タイムが)遅くなるかなと思ったのですけれど、(区間)15番以内に抑えられたので、初めてにしては良かったかなと思います。課題は上りが区間3位だったのですけれど、下りで落としてしまったので、しっかりトレーニングして上りの勢いのまま下れたら57分台出ると思うので、それに向けて来年は頑張ります」
──20位からのスタートだったがどのような思いで走ったのか
「6区で復路のスタートだったので、前後裁断というか終わったことは仕方ないと思って、自分が仕切り直してしっかり復路で勢いつけて最下位をなんとか脱却したいなと思っていました。なんとか往路19位の日大に追いつけるような走りをしたいなって思っていました」
──襷が途切れる恐れ、不安はやはりあった。
「かなりタイムが先頭と開いていたのでこのままの流れでいくと自分が悪い走りしてしまったらもう襷が繋げないかもしれないっていう不安はありましたけれど、逆に言うと自分が勢いをつけられればそのまま襷が繋がっていくっていう風に思って、自分の走り次第でこの後の展開や流れが良くも悪くも決まってくると思ったので、自分の役割としてはチームに勢い良い勢いをつけるってことだけだったので、なんとかまあまあ往路の悪い流れを断ち切れたかなと思います」
──得意の下りでタイムが落ちてしまった。
「自分は6区の前半の上りが勝負だと思っていて、上りの走り方はしっかりやっていたのですけど、下りを走るにあたってフィジカル面で足りてないものがあったので、上りで上手く走れても下りで腰とかお腹に(負荷が)きてしまってぐらぐらしてしまったので、フィジカルのウエイトトレーニングとかしっかりして来年はたれないように頑張ります」
──下りが得意だと話していたが。
「上りが勝負っていうことでかなり突っ込んで走って、そこでちょっとだいぶ(体力を)使っちゃったっていうのもありますし、タイム自体は2年前の粟江さん(=粟江倫太郎、24年卒)と7秒しか変わらなかったんでそこそこまとめられてはいるとは思います。ですけれど、やっぱり他校と比べての相対的に見た時に自分の弱さが目立ったというか、ある程度のタイムではまくれたと思うんですけど、勝負をするっていう面で他校の方がかなりタイム的には上だったので、そこは、自分が3年生、4年生と成長して、他校と勝負できるタイムでいけるようになれればなと思います」
──最初の上りで勝負していくようなレースプランだったのか。
「自分としては往路がスタートする前は、レースプランとして一斉スタートと準にタイム順でスタートするタイム差でのスタートの両方プランをと考えていて、往路が走り終わった時点で一斉スタート確定しダントツで最下位だったので、自分で取り返すというか、往路の悪い流れを自分で変えようと思っていたので、そこは勢いづけて良かったです。プランとしては一斉スタートの中で勝負する形で、一斉スタートの中でも前の方でゴールができたので良かったですね」
──長谷川監督から『勇気のある走りをしてくれた』と評価されていた。
「自分は今年の夏から上がってきてましたが、チームの主力とは言えない感じでメンバーに選ばれて、持ちタイムも他の選手に比べたら遅くて…。 今回6区の適性があるっていうことで選んでいただいて走ることになったのですけれど、自分よりもっとタイムの速い選手がいる中で僕が選ばれたっていうこと(に関しては)、監督も自分の成長に期待してくれていたと思いますし、その期待に応えたいなっていう風に思って走りました。最初の上りの4.8キロが区間3番で登ったのでかなり自分としては突っ込んだのですけれど、そこで専大にちょっと希望の光を見出してもらえたのはすごい嬉しいなっていう風に思います。下りはちょっと落ちてしまいましたけれど、正直、区間14番で一斉スタートの大東大さんと関東学生連合を最後に抜かして勢いをつけてゴールできたので、そういう監督の評価をもらって嬉しいなという風に思います」
──今後シードを狙うためには何が必要か。
「自分個人としては6区で58分台とか57分台を目指すっていう、更なるタイムの向上が必要で、チームとしてはまずは故障者を出さないことだと思います。今回は上りの区間で故障者が出てしまって、田口が走ることになったので、上りの区間に故障者がいなくて本来走るべき人が走っていたら多分もうちょっと順位も上がっていたと思うので、まず故障者出さないっていうことが重要です。今回、体調不良者がいなかったのは良かったですが、まずはベストなコンディションで走ることが必要だと思います」
──今後について。
「次はトラックレースになると思うので、トラックでまず5000mを14分台1桁 で、10000mは28分台で行きたいですね。ハーフマラソンも63分ぐらいで。今66分が自己ベストなので、63分でいきたいですね。あとは、次の箱根で(6区で)区間5位くらいを取りたいので、それに向けて更に意識の高い生活していきたいです」
▲チームに勢いを与える役割をし、7区の具志堅一斗(経営2・コザ高)と共に最下位脱出を果たした。次大会では6区で区間5位を狙う
7区 具志堅一斗(経営2・コザ高)
▲具志堅一斗
──初めての箱根路を走って。
「箱根駅伝はやっぱり大学スポーツ(の中)でも注目されている大会で沿道の応援が一番すごかったですし、それ以外でも撮影だったり道の整備だったりとか、もうそういったところから他の大会とは本気度が違うっていうところは格が違う大会だなという風に思いました」
──箱根駅伝のテレビ中継がされていない沖縄県出身で、以前は箱根駅伝のことをあまり知らなかった。
「自分が箱根駅伝に本気で出たいと思ったのは、大学に入ってからみんなの箱根駅伝に対する取り組みを見て思うようになりました。実際に自分がたまたまたまというか、タイミングが良くて、箱根の舞台走らせてもらえたのはすごく、2年生で走れたっていうのは大きな財産だと思いますし、あと2回挑戦できるので、今回の結果を踏まえてしっかり今後はもっと練習や生活の取り組みを変えていけたらいいなと思います」
──本当は4区出走を希望していたが。
「本当は4区の往路区間で、チームで力があるって認められて任せられる区間だと思うので認められて4区を走りたかったのですけれど、それでも監督たちには結構信頼された上で7区に置かれたので、今回箱根を経験するっていう上で7区は良かったかなと思います」
──7区で出走する上でのレースプランは。
「正直往路が20位で終わって一斉スタートになることはもうわかっていたので、6区の丹がある程度のタイムで絶対走ってくると思っていて、そうなってくるとその他のチームが前後にいるか、 団子(状態)で中継所に来ることはわかっていました。監督と話していたレースプランは前後にいたらしっかりその選手と一緒に走って上に行くような走りをしようっていうのは言われていて、実際に今回走った時は、関東学生連合と大東大がほぼ1秒差ぐらいで来ていてっていう中で、最初は関東学生連合が前に出ていて、監督に言われた通りに追おうと思いました。ですけれど、ちょっと自分的には早いと思っていて、そこで一回ブレーキをかけたのですけれど、それでも自分が監督とかと話していたペースよりも全然上回って入っていて、正直、走りながら5キロまでは余裕があったのですけれど、それでも 21キロあるので後半まで(体力が)持つか全然自信がなかったです。けれど、昨夏やってきた距離を踏むという、自分が大学に入ってから一番大事にしていることが生きてきてきつくなってからも大きくタイムが遅れることなく粘れて、後半にもう一回上げて、その前にいた神奈川大学をラスト2キロぐらいで抜くことができたので、レースプランとしては、監督が言っている突っ込んで耐えるということがシード校ほどではないにしろそれなりにはできたのかなという風に思いました」
──途中で襷が途切れる恐れはやはりあった。
「前回大会は途切れて終わっていて、それ以前も最下位で終わっているっていうのを知っていました。今回、9区で襷を繋ぐのが4年生の大田和さんということなので、絶対に恥ずかしい思いはさせられないっていう風に思ったので、大田和さんには絶対に最後に繋いで終わってもらおうという思いで走っていました」
──4年生の大田和とは“一斗”という下の名前が同じという繋がりがある。
「そういうのもあって、良い思い出で終わってほしいっていうのがありました。大田和さんが一番チーム内でストイックにやっているっていうのは見ていたので、絶対に報われてほしいっていうのもありましたし、4年生で唯一出走しているので、襷を繋いでほしかったので、襷を繋いで終われたので良かったなと思いました」
──島人ランナーとして沖縄に元気を与える走りはできたか。
「国学院にいる上原先輩みたいには上手くはいかなかったのですけれど、それなりに沖縄県出身でも戦えるっていうのは、沖縄の高校生のランナーとかには伝えられたのかなと思います。でも、これで終わりじゃないと自分も思っているので、来年はもっとしっかり上(位)で繋いで、沖縄県出身でもやれるっていうのをもっと見せていけたら、箱根駅伝で沖縄県のランナーがもっと取り上げられるぐらいしっかりタイムを出していけたらと思います」
──来年、シード権獲るために何が必要だと思ったのか。
「今回走って感じたのは、自分が5キロ行く前に法政大学さんに抜かれて、ついて行こうとか思う暇もないぐらいあっさり抜かれてしまって、その人は区間5位くらいで走っていたというのを見た時に、そもそもの走力というか、ある程度は粘れていてもそれはある程度であって、シードで戦ってる大学には全然通じていないと思います。それを埋めようと思うと、自分はスタミナには自信があり、多分チーム全体的にスタミナに自信がある人は多いのですけど、箱根で走った210人のうちの8割ぐらいが(10000mで)28分、27分台のランナーで、高速化が進んでいる中でうちの大学はそれについていけてる人が少ないから戦えていないと思ったので、来年シードを取る上でスピード、持久力の強化っていうのを取り組んでいくことが個人的にも大事だなと思いました」
──来年箱根駅伝に出場するための意気込みは。
「自分はどちらかっていうとトラックよりはロードが得意なのですけれど、苦手なトラックでもしっかり28分というタイムを出して、得意なロードでしっかりチームに貢献し、今度の箱根では区間1桁で走ってシード権をたぐり寄せる走りができるようにしていきたいと思います」
▲他の大会との格の違いを知り、大きな経験値を詰めた。次大会では更なる飛躍で地元沖縄を盛り上げたい
8区 犬塚知宏(文3・美濃加茂高)
▲犬塚知宏
──レースを振り返って。
「本当に今日は出し切ったレースだったんじゃないかなと率直に思っています。レース展開としては、序盤の方に学生連合の東大の選手が後ろからに2キロ地点、3キロ地点で迫って来ているのはわかっていたのですけれど、抜かされた時にかなり速いペースだったので、ここはあえてつかずに自分のペースで行こうと思い切ったのが結構良かったかなと思っています。実際、彼は途中の結果で『区間1、2番で行ってるぞ』と監督から聞こえてきたので、背中が見えるところで大田和さんに渡そうという思いで最後まで走り切りました」
──自身の走りに点数をつけるなら。
「後半はちょっとずれてしまったので、ここは辛めに60点くらいですかね」
──レースプランとしては理想通りか。
「岡田さん(=岡田拓也コーチ)や柴内さん(=柴内康寛スカウト)と話していたのですけれど、最初は突っ込まずに、あえて抑えて後半の坂道からしっかりと上げていこうという話だったので、最初は抑えてイーブンで行けたのはすごく良かったと思っています」
──遊行寺の坂がポイントだったのか。
「遊行寺の坂は結構元気があって登れたのですけれど、最後の坂というところがかなりきつくて、そこで順位もタイムもうまく追えなかったので来年もチャレンジできるのであればそこで今日の雪辱を晴らしたいなと思います」
──夢の箱根路だった。
「本当に最初は圧倒されて緊張で潰れるかなと思ったのですけれど、付き添いの佐藤真也(経済3・駒澤高)くんと(マネージャーの)村上友哉(経済2・八千代松陰高)くんがしっかりサポートしてくれて、緊張もほぐしてもらったので、リラックスまではいかなかったですけどかなり良い感じで走ることができました」
▲前半スピードを抑えて遊行寺の坂を力強く駆け上がった。周りの人のサポートが好走に繋がった
9区 大田和一斗(文4・東農大二高)
▲大田和一斗
──レース全体を振り返って。
「レース全体としては入りの下りで良いリズムを掴めたと思っていたのですけれど、5キロから10キロの権田坂の上りが思っていたよりもリズムが悪くなってしまって不安になりました。ですが、後ろから来た神奈川大の選手に合わせて走って、そこから終始リズムをもらいながら一緒に走れました。どうにか押すことはできたのですけれど、ラスト3キロでその選手に離されてしまったのと、区間10位以内で69分台を目指していたので、そこに届かなかったところでやっぱり悔しさが大きいかなっていう感じです」
──どのようなレースプランだったか。
「最初の入りが下りなので飛ばしやすいのですけど、そこをあえて突っ込みすぎず抑えて入って、後半の権太坂を越えてから3分ペースを軸に刻んでいって区間順位を上げていくというプランでした」
──総合順位を一つ上げた。
「あんまり見ていなくて(笑)。本当だったら区間順位1桁までいきたかったのですけれど、ラストで足が結構止まりかけていたのでもう一踏ん張りするとか、前半のアップダウンで中だるみをしてしまった部分があったのでそこをもうちょっと上手くいけていればタイムを短縮できたのではないかなと思っています。ですが、最後なので課題があったとしてもそれを繋げることはできないんですけど、それが私らしさでもあるのかなと思います」
──専大記録を4秒更新した。
「そこを意識していたのが少しあって最低の設定タイムを70分30秒にしていたので、確実に専大記録を更新できると思っていました。(更新することが)できたのは良かったのですけれど、69分台で走ることを目標していたので少ししか更新できなかったのと、来年以降、より強いチームになっていくのですぐ更新されるだろうなと思っています。でも記録を残したということに価値はあるかなと思ってます」
──今日の自分の走りに点数をつけると。
「30点。自分に厳しい性格なので、最後だとしても結果にこだわって走っていました。消化不良感はあるのですけれど、ここまでの過程を考えれば、ここまで来れて良かったなと思います。最後だとしても消化試合にしたくないというか、ただの思い出だけにしたくなくて結果にこだわっていたのと、総合順位が往路20位で終わって、1つでも上げたいっていう思いでやっていたので、私の区間で1つ上がったんですけれども、それができてチームに少しプラスアルファを出せたので良かったのかなと思っています」
──最初で最後の箱根駅伝だった。
「格別だったかなっていう感じです。やっぱり応援が本当に(すごくて)。ここまで応援されて走った経験はなくて、神奈川大の選手と並走してた時もその選手の足音が聞こえないぐらい歓声に包まれた中で走れたので、きつかったんですけど幸せな70分だったと思っています」
▲最初で最後の箱根路となり、最後までストイックに結果を求めた。「きつかったが、幸せな70分だった」と夢舞台を走りきった
10区 藁科健斗(経営3・横浜高) 駅伝主将
▲藁科健斗
──今日のレースどうだったか。
「きつかったけど楽しかったです」
──憧れの箱根を走ってみて。
「応援が絶え間なくてテンションが上がりました」
──1番イメージが強かったことは。
「どこも本当に応援がすごかったので、23キロ全部が夢のような時間でした」
──10区は希望区間だったか。
「そうではなかったのですが、どの区間でも(走る気持ちでいた)。まずはもう任された区間をどんな状態であっても走るという、走る以上はどの区間でもというのは思っていました」
──レースプランは何を想定したのか。
「結構イーブンで押していくというところを目標にしていて最初の5キロは良い感じに入れたのですけれど、ちょっとそこから風が強かったというところもあって徐々にペースが落ちてしまって、設定していたペースよりかは遅くなってしまったのですけれど、タイムよりも前を追おうというところを意識していたので、そこまでタイムにとらわれずにできました」
──襷を受け取ったときはどのような走りをしようと思っていたのか。
「とりあえず前に神奈川大と関東学生連合の人がいて、まず、そこに追いついていこうと思いました。一気に詰めるのではなくて、自分のペースで行こうと思っていました。3キロ過ぎ、4キロ手前くらいで追いついて、自分の方が速かったので引っ張る形になって、そこでも自分のペースでいこうと決めていたので、そのまま維持していったっていう感じです」
──順位を上げたことについては。
「ゴールし終わって、総合17位で、最後に山梨学院大を抜いていたっていうことはわかったのですけれど、走ってる時は(総合順位は)全然わからなかったです」
──専大記録を25秒更新したが。
「そこは最低限の目標であったので、良かったかなと思います」
──目標タイムは何だったのか。
「70分切りというところを目標にしていたので、そこからはちょっと離れてしまいました。そこはまだ力が足りないかなと思いました」
──今日の走りに点数をつけるなら。
「70点くらいです。良かったところもあり悪かったところもあるというか、自分は70分切りと区間順位1桁っていうところを目標にしていたので、そこを達成できなかったっていうところで。70分切りしていたら区間1桁になってたので、そこの差がまだあるなっていうところがあります。ただ、ほぼ単独走で風が強い中でも自分が思ってる以上に落ち幅が少なくできていたのは良かったと思うのですけれど、落ち幅をもっと如何に抑えるべきだったというのがまだ足りていないかなっていうところがあり、そこは良かったところでもあり悪かったところでもあると思います」
──去年は中継を見て悔しい思いをしたと言っていたが、実際に箱根路を走ってどうだったか。
「すごいなって(笑)。本当に走ったからこそ思えるのは、やっぱり応援のすごさっていうところが23キロ絶え間なく応援を受けていて、本当に夢の中を走っているようでした。すごく自分の気分も上がって、その中でも自分の走りができたというところが良かったかなって思います。すごく応援がパワーになりました。きついところで、『専修頑張れ』とかずっと声をかけてくれたので、そこでまた頑張ろうっていう風に思えました」
──給水が主将の千代島宗汰(文4・鳥栖工業高)だった。最後ゴールした時には長谷川源(経営4・名古屋経済大学高蔵高)と千代島が迎えてくれたが。
「給水は元々千代島さんと渡辺凛さん(経営4・名古屋経済大学高蔵高)に任せていて、そこでどんな言葉でも(いいので)かけてくださいって言っていたので、千代島さんは前との(タイム)差を言った後に『大手町で待っているから』っていうことを言われました。凛さんも前との差と『8区、9区が専大記録できていて、良い流れできている』っていうことを言ってくれました。大手町の最後のところはゴールする時に源さんと千代島さんが見えてほっとしたというか、すごく心強かったです」
──駅伝主将として思っていたことはあるか。
「一区切りというところはあるのかもしれないですけれど、自分たちはまだあと1年あるので、この先もあるので駅伝主将だったなというくらいあまりとらわれずにきていたのかなと思います」
──来年、箱根路に戻る為にはチームとして何が必要になるか。
「前からの課題であるトラックでのタイムというところ、フィールドっていうところの強化をまずはしていきたいなと思います。今日の復路でもわかったように、ある程度、ロードでは戦えるっていう、ロードに特化した練習をしてるからこその単独走のところでの走りができているので、そこに加えてトラックスピードっていうところをあげていきたいです。往路で戦えなかったのはスピードに対応できなかったところもあると思うので、(チームの)上位10人の平均(タイム)が29分1桁ですけれど、そこを28分台にして、その中で28分半が何人かいるっていうチームにしていってようやくシード権争いに絡めるのかなという風に思います。ロードの練習もしつつ、トラックで結果を出していくっていうことが必要になってくると思います」
──来年の意気込み、展望について。
「来年はまさに本気でシード権というところを狙っていかないといけないと思ってるので、まずは予選会を必ず通ってシード権を取るための準備というところをもっとしていきたいと思います」
▲給水で千代島から”主将”という襷を受け取った。来年もこの夢舞台に帰りシード権獲得へ奮闘する
取材=河上明来海(文4)、竹田一爽(文3)、大内奈々(経営2)、門前咲良(文2)