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101回目の箱根駅伝の予選会が10月19日に開幕する。昨年、箱根路への連続出場が3でストップした陸上競技部。最短での箱根路復帰へ向け、命運を握るランナーや成長著しいメンバーの声をお届けする。(インタビューは8月26日に行いました。)
高校で異例の駅伝デビュー 水津智也が描く夢
▲水津智哉
駅伝選手では珍しい、高校から競技を始めたルーキーが熱い想いを胸に秘め、食らいついている。水津智哉(経済1・今治北高)は駅伝競技を高校からスタートさせた珍種ランナー。「上のレベルについていくので必死です…」と本音を漏らすが、1次合宿からの選抜メンバーに選ばれ、ハイレベルな環境にもまれている。
今季の専大陸上競技部は新入生のレベルが高いのが特徴的。水津も入学後、「同級生のレベルの高さやストイックさ」に刺激を受けたという。「(1年生の)自主的に走る姿勢とかを見て“自分もやらなくちゃな”っていう気持ちになりますね。ライバルでもあるんですけど、お互い強くなろうとできる関係だと思います」と同期の存在を前向きに捉える。特に田口萩太(文1・東京高)の名前を挙げ、「先月、2人で(チームに)アピールするために(月間走行)距離でチーム1番を取ろうと決めて。辛い時とかも声を掛け合って(たくさん)走りました」と明かした。結果は1位こそ惜しくも逃したが、切磋琢磨し合える貴重な存在ができたことに充実感が漂う。
▲2次合宿で調整する水津(最左。)周囲のメンバー、特に同級生からは強い刺激を受けている
〇競技との運命的な出会い
広島県で生まれた水津は地元の広島東洋カープをこよなく愛し、幼い頃から野球一筋。高校から陸上競技を始めたきっかけは、たった1つの出来事だった。中学3年時、人員不足の陸上競技部の穴埋め役で県内の駅伝大会に出場すると、周囲を圧倒する好走を披露。進学先となる今治北高校から推薦の話が飛び込んだ。「(野球を続けるか)けっこう迷いました。けど、野球で推薦が欲しい学校からこなくて勉強でいこうとしていたところで。“まぁいいか!”って吹っ切れて決めました(笑)」とあまり深刻に悩まず、新たな舞台に飛び立った過去を振り返る。そして始まった競技人生では、水津の秘められた才能が開花した。メキメキと力をつけ、地方の駅伝大会や都大路、さらに都道府県駅伝にも出走を果たすほどに。関東の駅伝部数校からオファーがくるほどの実力をつけるようになっていた。大学でも競技継続を志していた中で迷いはなく、「自分が確実に成長して箱根駅伝に走って結果が出せそうだと思いました」と専大に進むことを決意。生まれ育った中国・四国地方に別れを告げ、新天地に足を踏み入れた。
▲今年4月に初レース
〇大学生になって持った意識・夢
そして大学生という新たなステージに立って初めての合宿。「はじめは自信っぽいものがあったんですけど、段々とついていくことに必死になってきました…」とレベルの差を痛感していた。それでも、「(地元を出てきて競技をやっていて)親に良い報告ができるように、見せられるようにしている」とモチベーションの源泉がある。ルーキーが抱く夢は“箱根駅伝で結果を残すこと”。その夢に向かっていま、鍛錬を積んでいる。「(自分はまだまだ下のレベルで)上の人が焦るくらいのものを練習態度などで見せていきたい」と言葉に力を込めた。
異例の競技デビューをした新人は入部からまだ半年ほど。これからレベルアップに励み、チームを代表するランナーになってみせる。
▲これから日々の積み重ねを大切に、レベルアップを誓う
文=河上 明来海(文4) 写真=陸上競技部提供、河上