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2023.10.13
野球

【野球部】「不安な気持ちはない」 ドラフト上位候補・西舘昂汰単独インタビュー

▲西舘昂汰。ドラフト上位候補として注目されている。


 2年連続で専大の18番がプロの世界へ踏み出す。9月8日にプロ志望届を提出した専大の絶対的エース・西舘昂汰(経済4・筑陽学園)が、専大スポーツの単独インタビューに応じた。ドラフト上位候補と呼ばれるようになった西舘は、ドラフトに向け「不安な気持ちはない」と晴れやかな表情で話す。運命のドラフトを前に、西舘のこれまでの歩みと、昨秋以降の急成長の裏側に迫った。(インタビューは9月30日に行いました)


「上位でかかってもおかしくない素材は持っている」


▲ドラフトを控えた西舘は、淡々と今の心境を話した。


 「結構楽しみだなっていう風に思います。あまり不安な気持ちはなくて、今年も別に調子が落ちているわけじゃないし、アピールするべきことはできている」。西舘は落ち着いて心境を話す。昨年ドラフト1位指名を受けた菊地吏玖(令5・経営卒・現千葉ロッテマリーンズ)はこの時期、「不安で眠れない」と明かしていたが、それとは対照的だ。「吏玖さんとは(ドラフトの話を)よくする。『大学とは環境が全然違う』と言っていたので、興味もありますし、行ってみたいなっていう気持ちはすごく強くなりましたね」と、プロへの思いは日を追うごとに強くなっている。


 記事やSNSで自身の報道や評価を頻繁にチェックし、上位指名候補と報じられていることも認知している。「1位指名されるということは、去年の吏玖さん(菊地)を見ていたので、すごいプレッシャーのかかることだなっていう風に思っている。僕も上位指名(候補)であると言われていて、僕自身ドラフト上位でかかってもおかしくない素材を持っているっていう自信はあります」。ドラフト目前となったが、不安や緊張よりも高揚感や自信の方が大きい。


大器の生い立ち


▲小学生の頃の西舘。(本人提供)


 西舘昂汰は福岡県筑紫野市生まれ。4人兄弟の末っ子で、小学3年時に高校球児だった一番上の兄の影響を受け、「吉木オリオールズ」でソフトボールを始めた。小学2年から1年間ラグビーをしていた時期もあったという。中学からは「レベルが高いところでやりたかった」と、二日市ボーイズに入団。入団当初は身長が大きくなく遊撃手としてプレーしていたが、中学3年を境に一気に身長が伸び、それをきっかけに投手を始めた。今やライバルでもある駒大の神宮隆太選手とは、当時バッテリーを組んでいた。


▲二日市ボーイズ時代の西舘(2枚目左から2番目)。(本人提供)


 中学卒業後は名門・筑陽学園高校に進学した。「江口先生(江口祐司・当時の筑陽学園高校監督)がすごく面倒を見てくださった。僕らの代は強豪チーム(糸島ボーイズ)からたくさん来るから絶対に甲子園を狙えるチームだぞっていう風に言われたので、筑陽に行こうと思った」と経緯を話す。実際、同期には現在ドラフト上位候補との呼び声高い進藤勇也選手(上武大)など、強力なメンバーが揃っていた。上下関係が激しく厳しいチームで、「1年の時は先輩や指導者の目を気にしながらやっていた」と当時を振り返る。入学当初は身長が180センチ以上ありながら身体が細かったが、親の協力のもと食生活を改善し、2年頃には15キロの増量に成功。そこから西舘のサクセスストーリーが始まった。


人生を大きく変えたvs宮城大弥


 2年秋、熊本で行われた九州大会準々決勝。西舘の人生を大きく変える試合となった。相手は宮城大弥投手(現オリックス・バファローズ)を擁する興南。この試合で筑陽学園は延長13回の激闘を1-0で制した。西舘は延長13回完封勝利を挙げ、宮城投手を破った。「僕は全然名前が売れていなくて、宮城大弥は九州中で注目されていた。九州ではNo. 1投手と言われていたけど、そういう選手に投げ勝つことができたので、そこからはもう自信のあるピッチングができるようになった」。この勝利をきっかけに、西舘は雑誌に掲載されるほど注目されるようになった。


▲甲子園出場を決めた瞬間の筑陽ナイン。(本人提供)


 筑陽学園はその後九州大会優勝を果たし、明治神宮大会やセンバツに出場した。センバツでは石川昂弥選手(現中日ドラゴンズ)を擁する東邦に敗れ敗退。「石川昂弥選手はもう本当に打球が凄くて、こういう選手が高校生のトップレベルなんだと思った」と、驚きと同時に全国トップレベルの野球を肌で感じた。


▲夏の甲子園での西舘。捕手は進藤選手。(本人提供)


 夏の甲子園にも出場し、西舘はエースナンバーを背負った。作新学院に敗れ初戦敗退となったが、神宮大会・センバツ・夏の甲子園と3度の全国大会に出場したことで、西舘の知名度は全国区になった。プロ野球のスカウトが視察に来ることもあったが、「プロに行けるまでの実力はなかった」と大学進学を選択。東京の大学に行きたいという希望と、筑陽学園の江口監督と専大の齋藤正直監督のつながりが重なり、専大への進学を決めた。


「野球が一気に変わった」恩人との出会い


 「緩い大学だな」。高校時代に厳しい練習を乗り越えてきた西舘は、入学直後そう感じた。しかし、同時に「自分で(練習を)やらないと成長しないな」とも感じたと話す。江口監督の下で「伸ばされた」環境から自主性が問われる環境に変わり、結果が出るまでには時間がかかった。1年時から登板機会はあったが、3年春の対東洋大2回戦(上尾)では2番手で登板し3回6失点と炎上するなど、伸び悩んだ。「(3年春までは)これといった感触も別になかった」と当時を回想した。


▲大学2年時の西舘。


 転機は3年の春頃。「外部コーチの山本一彦さんっていう方がいらっしゃって、その方のフォーム矯正で『腕を振らずにボールを走らせる』という取り組みをした」。山本一彦氏は専大OBで、韓国球界で活躍した投手だ。韓国名は崔一彦(チェ・イルオン)。プレミア12や東京五輪で韓国代表投手コーチを務めた。「腕は強く振ってないけどピュッとボールが走って、腕を強く振るともっと走る」という腕の振り方を徹底的に磨いた。「山本さんとの出会いは本当に野球が一気に変わった。彼には感謝しています」と話すほど、山本氏の指導で西舘の投球が大きく変わった。


 3年秋、開幕週の対立正大2回戦(神宮)で先発を任せされると、8回3安打1失点の快投を見せる。直球は平均140キロ台後半を計測し、春からの取り組みの成果が早くも発揮された。力感がないフォームから放たれる力強い直球はその後も唸りを上げ続け、最終的に3勝0敗、防御率1.72で最優秀投手賞を獲得。優勝を決めた対東洋大戦2回戦(上尾)で完封勝利を挙げるなど、チームの弱点であったエース菊地に次ぐ「2日目の男」のポジションを見事に埋めた。



▲3年秋の対立正大2回戦。

▲2部優勝を決めた対東洋大2回戦。菊地に次ぐ2枚目の先発として、菊地に並ぶ数字を残した。


 さらに、駒大との入替戦では1回戦では8回から登板して自己最速の150キロを計測し、2回戦は完投勝利を挙げた。しかし、3回戦は2回途中KOを喫し、チームも敗れ涙を流した。「大学で一番印象に残っているのは入替戦(の3回戦)。一番大事な一戦で試合を崩してしまったのがすごく悔しかった」と、その悔しさは今でも忘れられない。それでも3試合全試合で登板する大車輪の活躍を見せ、その頃には翌年のドラフト候補として名だたる投手たちと肩を並べるようになっていた。


▲完投勝利を挙げた入替戦の2回戦。

▲3回戦も先発に抜てきされたが、2回途中でKO。1部昇格を逃し、大粒の涙を流した。


成長が止まらない発展途上の剛腕


 山本氏と取り組んだフォーム矯正が納得する形に至ったのは4年春。取り組みを始めてから1年後のことだった。直球の最速は152キロを計測し、高校時代から7キロも向上した。さらに、直球中心で真っ向勝負に挑む投球スタイルから変化球も織り交ぜるスタイルに進化を遂げ、フォークやツーシームに磨きがかかり奪三振能力が劇的に向上。3年秋23だった奪三振数は4年春には53に倍増した。今年6月には侍ジャパンの選考合宿にも招集され、惜しくも選出とはならなかったが存在感は大いに示した。


▲代表選考合宿での西舘。落選となったが、2回無失点と力は見せつけた。


 ラストシーズンを迎えてもなお成長は止まらない。9月19日の対立正大1回戦(上尾)では驚異の14奪三振で完封勝利。10月11日の対拓大2回戦(上尾)でも完封勝利を挙げ、10月11日の登板を終えた時点で防御率1.46。奪三振はリーグダントツの55を記録している。「僕はもう今の結果に結構満足している。僕なりのピッチングはできている」と話す一方で、「あんまり勘違いせずに、調子に乗らないようにしている」と、冷静な目も忘れない。運命の日へ、不安はない。「進藤よりは早く呼ばれたいですね」と笑った。


▲9月13日の対国士大3回戦。サヨナラで敗れたが、9回1死まで1安打しか許さなかった。

▲9月19日の立正大戦。西舘の人生最高の14奪三振を記録するなど、圧巻の投球を見せた。

▲盟友・進藤勇也選手とプロの世界での再会、対戦を心待ちにする。


 高校入学からサクセスストーリーを描き、今やドラフト上位候補と呼ばれるようになった、発展途上の大器。運命の10月26日に向け、最後まで圧倒的な投球を続ける。


文=野見山拓樹(文4)

写真=相川直輝(文4) 高橋尚之(経営4) 河上明来海(文3)