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昨年11月、第19回アジア競技大会ボクシングの部・57kg級で銀メダルを獲得したボクシング部の原田周大(法4・豊国学園)。同時に今夏行われるパリ五輪の出場権を掴み、専大ボクシング部からの五輪出場は実に16年ぶりという快挙を成し遂げた。大学の名を背負って世界の祭典で戦う男の挑戦権を獲得するまでの道のりを振り返る。
▲今夏のパリ五輪に出場する原田周大
〇競技に出会う
原田がボクシングに出会ったのは中学1年生。それまでサッカーに熱中する日々を送っていたが、進学した中学校にはサッカー部が無かった。そこで兄が通っていた地元のボクシングジムに見学へ行くことになり、競技人生がスタート。最初はひたすら素振りを繰り返す基礎練習ばかりで「楽しくなかった、何度もサッカーをやり直したいと思った」と話す。それでも、「諦めるのはダサい、続ける」という一心で継続すると、初めてのスパーリングでは今まで体感したことのない楽しさを味わい、徐々にのめり込んでいった。
▲練習で打ち込む原田。中学時代、初めてスパーリングの経験をした瞬間は忘れられない
〇本気のボクシングへの変化
その後、「遊び感覚だった」という中学時代とは打って変わり、高校では”本気のボクシング"に変化。「片っ端から鍛えられた」とチーム内で下位のスキルだったが、地道な努力を続けた。しかし、1年時に新人戦で初戦敗退。精神的に深く落ち込んだ。それでも原田は立ち上がり続ける太い反骨心の持ち主。先輩からの進言を受け、戦うスタイルをファイタータイプから相手を見て考えながら戦う型に変化。自分の練習や試合の動画を見返しながら分析してスキルアップするとともに、今となっては代名詞である左ジャブを徹底的に磨き上げた。すると、3年時の国体では準優勝を成し遂げる。「失敗から学ぶ姿勢」「考えるボクシング」を手に入れた原田は大学でも競技の継続を決意。加えて「ぼやっとだけど、オリンピックに出られたらいいな」と胸を膨らませていた。
▲フォームを丁寧にチェックしながらの練習。「考えるボクシング」を手に入れた高校時代は、自身のボクシング人生における多くのものを吸収した
〇自問自答の先にあった快挙
生まれ育った故郷に別れを告げて上京し、待ちに待った入学。だが、突如コロナウイルスに翻弄された。制限された寮生活が続き、全く練習ができない日々が続いていった。「このままでは何のために大学にきたのかわからない」。原田は覚悟を決め、夜な夜な部員を呼び出し、必死に説得した。「みんなで頑張ろう。俺は勝ちたい」。熱意は仲間の理解を呼び、自主練習を繰り返してスキルを身に付けた。怯まずに積んだ地道な努力が実を結び、2年次には全日本選手権のバンタム級で見事に優勝。自身初の国内の舞台で頂点に立った。この飛躍を契機に周囲からの注目度が一気に向上。様々なチームや選手から声がかかるようになり、「本気でオリンピックを狙える」と確固たる自信を手に入れた。その後も勢いは止まらず、22歳以下のアジア大会で準優勝、3年次に進級後は世界大学選手権3位。さらに、階級を上げて臨んだ全日本選手権のフェザー級で連覇を達成を果たすという快挙尽くしの2年間を送った。「考えることが楽しい」と自身の分析を徹底して行う姿勢が功を奏していた。
▲階級を上げて臨んだ2度目の全日本選手権でも優勝し、確かな自信を手に入れた
〇何度も味わうどこ底 それでも立ち上がる
そして昨年5月、満を持して臨んだ世界の舞台。しかし、再びどん底を味わった。まさかの1回戦負けを喫し、海外で勝つ難しさを体感。「何がダメなのか。どうしたら勝てるのか…」と悩む中、ライトミドル級の岡澤セオン選手に声をかけられた。「自分の目で見てこい」。すぐにウズベキスタンとカザフスタンへ修行をしに行った。そこで世界1位とも言われるウズベキスタンの選手たちと対戦し、勝つための秘訣を体得。さらにイタリアに渡り、実戦を積み重ねた。身体を鍛え直し、様々な技術を吸収したこの修行で「(アジア大会へ)自信が深まった」と振り返る。長年の目標であったオリンピックの出場が懸かった大会に万全を期して臨むこととなった。
▲2023年の世界選手権・1回戦。世界の壁は高く立ちはだかった
〇「人生変えてやろう」 そして掴んだ悲願
ついに迎えたアジア大会。「人生変えてやろう」と強い決意で挑んだ。初戦を5対0の判定勝ちを収めると、「流れがきていた」とその後も快進撃を続けてパリ五輪出場を懸けた準決勝へ進出。相手はパンチの正確性に定評があるタイのジュントロン選手。1ラウンド目は相手に押される展開となったが、勝利が求められる2ラウンド目の場面で「勝っても負けてもどうでもいい。楽しもう」と吹っ切れた。すると、相手のパターンや癖を把握してパンチに対応。次第にペースを上げて挽回していく。続く最終3ラウンド目では、「勝ちたい気持ちと楽しみたい気持ちを含めて一番良い心境でずっと戦えた」と流れを掴み、優位に展開を進めて判定を待った。勝利をほぼ確信する中、告げられた結果はーー。3対2の判定勝ちだった。「よっしゃー!」。右手を高々と突き上げ、雄叫びがリングにこだまする。夢見ていた舞台への切符を自らの手で獲得。見事に悲願を達成し、喜びを全身で表した。
▲長年にわたって夢見てきた舞台への挑戦権を獲得し、喜びを爆発させた(写真=公益財団法人日本ボクシング連盟提供)
〇再び敗戦から目指す、次なる舞台
悲願達成から一夜明けた翌日の決勝。世界王者であるウズベキスタンのハロコフ選手と対戦するも、2ラウンドノックアウト負けを喫した。「五輪出場を決めた嬉しさより、負けた気持ちが大きい」。
▲歓喜から一夜明けた翌日の決勝戦では完敗を喫し再び”負けてからのスタート”に。五輪で金メダルを獲得する夢へ鍛錬を積む(写真=公益財団法人日本ボクシング連盟提供)
帰国後は「今日の自分に勝つために。五輪でメダルを獲るというのは、それくらい請け負わないといけない」と覚悟を決めて鍛錬積む日々を送っている。もちろんパリで目指すのは金色のメダルであり、目標がブレることは無い。「負けてから強くなれるのが強みだと思います」。これまで何度も負けて味わうどん底から不屈の闘志で立ち上がり、強く生まれ変わってきた。再び”スタートライン”立った男は世界のスポーツ祭典の頂点を掴み取るべく、まい進する。
原田 周大(はらだ しゅうだい)
法学部法律学科4年
2001年10月2日生まれ 福岡県北九州市出身
2022年度全日本ボクシング選手権 バンタム級:優勝
2023年度全日本ボクシング選手権 フェザー級:優勝
2023年度 杭州・アジア大会:準優勝、2024年パリ五輪出場権獲得
*記事掲載以外の部分*
【原田が掲げる将来的な夢】
海外修行で訪れたウズベキスタンの街中で盛んにボクシングが行われている光景に感銘を受けた原田。「日本でもボクシングの発展に貢献したい」と思ったという。アマチュアボクシングの魅力については「3分3ラウンドの短い時間にギュッと詰まっている。プロボクシングほど派手さはないが、スピードの攻防が魅力」と熱心に語っていた。現時点ではプロへの転向は考えておらず、「海外へ行ってコーチングを学びたい」と意欲的。将来的には次世代の金の卵発掘のため、ボクシングの発展に尽力する夢を抱いている原田に注目だ。
※インタビューは11月13日に行いました。
文=河上明来海(文3) 竹田一爽(文2)
写真=公益財団法人日本ボクシング連盟提供、本人提供、河上