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2023.11.30
陸上競技

【陸上競技部】「嬉しすぎて言葉が出ない」 山城弘弐 完全燃焼の4年間

 〈第310回日本体育大学長距離競技会=11月26日 日本体育大学・健志台キャンパス 陸上競技場〉

 ▲ゴール直後、満面の笑みを浮かべた山城。喜びを全身で表した


  山城弘弐(経営4・コザ)が公式戦の最終レースに臨み、自己タイムを1分近く更新する29:12をマーク。「嬉しすぎて言葉が出ない。本当に出したのかわからないくらい」と感無量だった。4年間で1度も30分台を切れなかった男が最後の最後で悲願を達成した。

▲ゴール後は仲間から祝福を受け、歓喜の輪が広がった

 

「すごく苦手で弱点」と話してきたトラック10000mで待望の29分台の壁を打破。「初の29分台がこんな前半で入れるなんて。もう人生で最高」と笑みが止まらなかった。2週間前に出走した5000mでも自己ベストを更新し、調子が良好のまま練習を再開。「調整段階で余裕をもってできたのが自分の中で不安要素にもならずに走ることができた」と振り返った。

【自分に厳しく高みを目指した4年間】

まさに有終の美を飾った山城だが、4年間を振り返ると今回のように心から満足したことは珍しかった。常に高みを目指し続け、「悔しいことの方が多かった」と語る。  1年次は入学前のケガや調整不足もあり、年間を通して練習を積めずに記録が伸び悩んだ。さらに「自分を律することができなくて腹が立った」と精神面でも課題を残していた。翌2年次ではAチーム入りするも「試合に直結まではいかなかった」とチームの箱根駅伝には絡めず。3年次から力がつき始め、予選会出走を成し遂げるも、チームの最下位でフィニッシュ。当時を「かなり悔しかった。チームに迷惑をかけた」と忘れられない。

▲2年生次のポイント練習。翌年は予選会出走を果たすも悔しさだけが残った

 

  そして迎えたラストイヤーの今季は「自分にできることはなにかっていうのはけっこう突き詰めてて。例え結果が良くても悪くても悔いが残らない、やりきったと思えるように1日1日を過ごしていく」と覚悟を決めた。冬場の帰省で「これまでの帰省で1番走り込んだ」と自主練習に励み、2月の守谷ハーフマラソンで自己ベストを更新。それでも「試合と練習の結び付け方を上手くやらないと。もっと上を目指したい」と驕らなかった。5月にはハーフマラソン部門で関東インカレに出走。「去年はスタンドから見る側だったので走れるのは嬉しい」と語るも、レース中盤で単独走となり課題が浮き彫りに。

▲関東インカレに出走できたことは喜ぶものの、課題が明確に出た

  課題克服に向け、強度の高い夏合宿では自らが集団を引く走りを意識した。その背景には「後輩を引っ張るという意味でも」と最上級生としての自覚も芽生えていた。

▲夏季合宿では積極的に前方を走った

  大きく崩すことなく練習を積んだ結果、2年連続で予選会に出走。だが、想像を超えるハイペースに屈し、後半のアップダウンにも対応できなかった。「箱根駅伝に出る」という目標に向かって鍛錬を積んできたが、叶わなかった。「力が及ばなすぎて無の感情だった」とレース後は整理がつかず、翌日から1週間は走ることから遠ざかった。

▲2年連続で予選会出走を果たすも、箱根路への出場は叶わなかった。敗退後、数日走ることから離れた

  そこから気持ちの面も回復し、同期とウォーキングを再開。しばらくして軽く走りをいれると「気持ち良かった。走るとやっぱり楽しいな」と喜びを実感した。「やるからにはしっかりやって競技生活を締めくくる」と心に火がつき、今月の記録会に向けての練習を始めた。


【生粋の島人が専大へ】

山城は専大陸上競技部として初の生まれも育ちも沖縄県の選手。もともと中学校まで野球をやっていたが、通っていた学校が陸上に力をいれていることもあり、陸上と両立。「ずっと(3つ上の)兄を追いかけていた。高校でも続けていたので抜かしたかった」と高校からは陸上に専念することを決意。すると、センスが群を抜いていた。兄が高3時に出した3000mのタイムを入学して1年も経たぬうちに突破。基盤が整った上で2年目を迎えると、上京して参加した日体大記録会の5000mで14分台をたたき出し、一躍有名になった。当時を「自分が一番びっくりした。周りから結構騒がれるようになった」と回想する。

▲生まれも育ちも沖縄県。陸上は高校から本格的に初めたが、抜群のセンスの持ち主だった 

 すると関東の各大学から注目を集め、進学を本格的に検討するように。その中には専大も含まれており、「色々な学校の練習環境や住みやすさを比較する中で興味がかなりあった」と話す。3月には柴内康寛コーチが来訪。より惹かれるようになった上での決め手は専大の寮への泊まり込みだった。「ちょうど関東で記録会があって、だったら泊まってみないかと」。チームの雰囲気の良さを肌で感じ、「ここにいけばやっていける。強くなれる」と決意を固めた。周囲からの励ましや応援を背に受け、専大陸上競技部の門を叩くこととなった。


【心の支えになった仲間】

自身が4年間、故郷を飛び出しても奮闘し続けられた背景には沖縄の仲間たちの存在が大きかった。特に高校時代の部活の同期である沖縄国際大の嘉陽英斗選手とは帰郷するたびに自主トレーニングを共にした。嘉陽選手も長距離競技に取り組んでおり、「彼は自分と向き合ってすごく頑張っているので、自分もサボってられないなと思える存在」と互いに高め合っている。12日に行われた日体大記録会の5000mでは山城がペースメーカーとなり、並走が実現。「もう無い機会なので本当に幸せだった」と喜びに浸った。

▲相棒との並走が実現した11月12日。「幸せだった」と忘れられない思い出になった


【見据えるこれから】

5年前に記録を出し進学の機会を手に入れ、ラストランで最高の結果を残したのは同じくこの日体大記録会。「なにかと思い入れはある」とはにかみ、「高校の時は飛行機に乗って電車を使って…。乗り方もいまいちわからなかった(笑)」と懐かしそうに話した。もう思い残すことはなく、やり切った。現段階では今後も競技継続をする意向はあり、「気持ちを切らさずに2、3年かかろうが自己ベスト、とりあえず人生というスパンでは28分台を目指して。ただ、気負い過ぎずに満足して引退したい」と語った。

▲満足いく結果を残し、有終の美を飾った。完全燃焼の4年間に終止符を打った

 

 関東の地に飛び込み、4年間を駆け抜けてきた島人。最後は笑顔でフィニッシュし、次のステージへ歩みを進める。


文=河上明来海(文3)

写真=河上、相川直輝(文4)、陸上競技部提供