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2023.11.16
陸上競技

【陸上競技部】歓喜と苦悩の4年間 中山敦貴の軌跡

〈世田谷246ハーフマラソン  11月12日  =駒沢オリンピック公園~多摩川河川敷・21.0975キロ〉

▲ラストランを迎えた中山。気温10℃で雨が降りしきる中、走り切った

 

苦しみと喜びを味わった4年間に終止符を打った。中山敦貴(経営4・湘南工大附)が12日に行われた世田谷ハーフマラソンに出場し、65:20でフィニッシュ。2、3年次に箱根路で出走した苦労人のラストレースだった。積み上げた熱い思いを胸に走り切り、「周りからの応援も聞こえて楽しい21キロだった」と清々しい表情で振り返った。


▲レース後、仲間からの声援に笑顔で応える


4年間で自身の長年目標にしてきた舞台に立てた喜びと、その後なかなか思うようにいかない苦しみの両面を経験。気持ちをコントロールすることに手を焼いた。


 〇人生の転機となったルーキーイヤー、歓喜の舞台

中山は入部当初、同学年内で下位の持ちタイムであり、順位も後方が常だった。しかし、実力差があっても「箱根駅伝に対するこだわりっていうのは、 やっぱり1番強かったと思っている」と誰にも負けない強い思いを内に秘めて日々鍛錬を積んだ。

すると入部から半年後、願ってもないチャンスが転がり込んでくる。チームが14年ぶりに予選会を突破。箱根路出走という夢の舞台への挑戦権が生まれた。

予選会後に練習を上手く消化でき、順調にこなせていた。だが、メンバー選考前に出場したレースで上手く走ることができず、メンバー漏れ。「初めて味わう悔しさだった。人生の中で1番悔しかったところ」と頭から離れない。

 「この気持ちをもう1回味わったら、なんかもうこの先頑張れない気がした。最後の1年だっていうぐらいの気持ちで2年目はやっていたんで。自分が変わるきっかけになったと思う」。ターニングポイントとなって覚悟が決まり、死に物狂いで自分を追い込んだ。強い覚悟のもと積み上げた努力は身を結び、2年次にアンカーを任されて歓喜の箱根デビュー。「ずっと目指していた場所だったのでいつも応援してくれる人に箱根を走ったっていう結果を報告できたのは素直に良かった」と回想した。

▲2年次で嬉しい箱根デビュー 。夢を叶えた

▲最終10区を力走。アンカーとしてゴールテープを切った


〇思い通りにいかない3年目、もがいた最終年

「2年目は走れたので来年は結果を出す」と意気込んだ3年目。しかし、コロナ禍の影響を受ける日々で上手く調整ができなかった。チームの練習規制、自身のコロナ感染、夏合宿を喘息のため棄権。予選会までを「1番苦しかった。頑張ろうとしても頑張れない、何もうまくいかないような期間だった」と頭を悩ませた。それでもチームは3年連続で予選を通過。なんとかもがいて復調し、本戦エントリーメンバーに選抜されるまでに至った。

▲昨年11月の日体大記録会。4年間で最も苦しんだ3年次の前半戦から何とか復調した


すると7区を任され2年連続で出走を果たす。「素直にうれしかった。箱根という舞台は特別なもの」と胸を躍らせ、「個人的には練習を積めていたので走れるかなと思っていた」と臨んだ。だが、またも壁に当たった。区間最下位でチームの順位をも最下位に落としてしまう苦しい走りに。その後は「自分の中で走り方が分からなくなってしまった」と先が見えなくなった。

▲2年連続の箱根路出走を果たすも、かなり苦しい走りに。この後は思い悩んだ

 

 そこで自分の走りを見つめ直し、最終年は「長い距離に重点を置くこと」を決意。「(長い距離への対応というのは)本数をこなして出場していかないと、見えないものだなと思った。こだわりを持ってやっていかないと(思っていた)」と全国各地で行われるハーフマラソンに次々と出走。回数を重ねると多様な面で変化が起き、「走り方とか気持ちの持ち方みたいなのは自信をもっていけるようになった。ピーキングっていうところもある程度分かってきていた」と手応えを掴んでいた。

▲5月には関東インカレに出走。他校との競い合いは自身を奮い立たせる契機になった

 

 さらに、4年目の覚悟として苦しみながらも自らを追い込み続けた。「しんどかったけど、自分から強くなるために苦しさを求めていた。苦しい中でも、気持ち的に落ち込んでるときでも、頑張り続けてこられた。不思議な感覚っていうか、こういう気持ちで頑張ることもできるんだと思った」。この追い込みが自身にとってもまた1つの成長となり、「身体の限界だった」という夏の選抜合宿も耐え抜き予選会メンバーに名を連ねた。

▲身体の限界だったという8月の選抜合宿。力を振り絞って耐え、予選会メンバー入りを果たした

  しかし、最後の局面に至っても悲劇は起こってしまう。予選会の1週間ほど前に体調を崩すと、インフルエンザを発症し出走できず。チームも箱根路への切符を掴むには遠く及ばず、あっという間にリベンジの夢は阻まれた。「1番頑張ってきた最後の年に自分がどこまでできるかっていう可能性が分からなかったのはすごく悲しい」とうつむいて言葉を繋いだ。

 ▲予選会敗退後、(右から2番目)。自身の出走が叶わず虚無感があふれた

 

〇苦しさが大半の中、奮闘できた要因

もがき苦しんだ日々が大半の中、自身を奮い立たせてこられた要因を自身はこう振り返る。「勝ちたいっていうのが強かった。純粋に勝ちに向かいたいという気持ちとコーチにずっと『中山的にもっと走れるよ』って言っていただいていたので、それに対して僕も頑張らなきゃいけないなっていう気持ち。あとは競技が最後なので、自分がどこまでできるんだろうっていう自分を信じたい気持ちの3つがやっぱり自分の中で大きかった」。常にその3点をモチベーションに闘ってきた。

そして話の中で触れたコーチとは大桃結花トレーナーのこと。外部トレーナーとして2021年から専大に加わり、中山は2年次の箱根出走後から指導を仰いでいた。「大桃さんと自分の走りや目指すべきところっていうのをしっかり時間をかけて作ってきた。すごくいい3年間だった」と大桃さんの存在無くして自身の成長は語れなかった。 

▲恩師になった大桃コーチ。「人としても、指導者としても、1番尊敬できる人だなっていう風に思っている」と感謝した。

 

 低年次で手にした喜びとその後味わった苦悩。多くの感情が入り混じるも、走り続けてきた。精神的に大きく成長した4年間にそっと、幕を下ろした。

 

なかやま のぶき 経営学部4年・神奈川県出身

湘南工大附属高校から専修大学。2,3年次に箱根駅伝出走



文=河上明来海(文3)

写真=河上、陸上競技部提供、相川直輝(文4) 、山縣龍人(法4)