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2023.10.16
陸上競技

【陸上競技部】手塚、山城、和田、田島 レース後一問一答 第100回箱根駅伝予選会

<第100回東京箱根間往復大学駅伝競走予選会 10月14日 陸上自衛隊立川駐屯地―立川市街地―国営昭和記念公園 21.0975キロ>


 第100回大会の切符をつかむことができなかった専大。監督とレースに出場した全12名の選手のレース後のコメントを全4回に分け、一問一答でお届けする。


手塚太一(経営2・那須拓陽)

個人成績 総合237位 65分12秒(チーム9番手)

 

今の気持ち

―そうですね…まあなんというか…一言でいえば悔しいですし、本当に18位という現実に、本当の力の差を見せつけられたかなという感じ。


5キロを15分10秒で入った。想定通りだったか。

―2週間前にケガしてしまって脚を痛めてしまって、先週うまく練習できていなくて、5日前に5キロ1本やったんですけど、そこでも15分17秒くらいで結構厳しい状態だった。それでも64分30秒を目指していくなかで10キロを30分30秒で通過しようと思っていて、10キロまではしっかりできていたんですけど、後半公園内でペース落ちてしまって、少し足痛めたっていう部分がありながらも練習はできていたのでそこはなんていうんですかね……申し訳ないなと思いますね。夏合宿も練習はチームで一番できていたくらいで、チームの上位で走って稼ぐべき存在だったと思っているので、最後の最後で詰めの甘さというか、完璧な状態で臨めなかったというのが自分として悔しいですし、チームに対しても申し訳ないと思う。


後半は脚が痛かった

―脚は大丈夫だったんですけど、一週間あまり走れない感じが続いちゃったので、最後一週間は無理してでも走ったんですけど、少し体力落ちた部分もあって。


その状態でのチーム内での自分の役割は

―スタート順番は今日11番で、裏からスタートして8-10番。自分としてはそこの下の部分でしっかりまとめて走ると思っていたので。そうですね…。結果として9番という部分でありますけど、64分30秒で行きたいとは、足が痛い状態であっても監督とかチームにも言っていたので、そこから30秒以上遅れてしまったのは、本当に悔しいというか。


脚はなぜ痛めた

―練習は完璧にできていて、チーム上位で走んなきゃいけないプレッシャーじゃないですけど、練習しなくちゃいけないという部分もあってうまく練習量とケガする境目の天秤ぎりぎりを攻めていて、悪い方向に転んじゃったかなと思います。


夏合宿から自らがエースだと話していたと聞いたが

―夏合宿で一人一人発表する場面みたいなのがあって、ちょうど2回目の合宿の時に「どんな存在になりたいか」というテーマがあって、そこで1番になれる存在になりたい、エースとしてやれるようにとそこで発表して全体で言ったので、自分でやんなくちゃなと思って最後こういう結果になっちゃったなというのはまだ自分の力が足りてなかった。


チームとして何が足りなかった

―今年は稼ぐ役、エースがいなくて全員でまとまるっていうところだったんですけど、やっぱり勝つには頼れるエースが必要ですし、自分がそういう存在になりたかったので、来シーズンは自分がチームを引っ張っていけるような存在になりたいと思いますし、今日の結果見て全体としてレベルが上がっていると思う。今までの常識が通用しない感じになっている。チームとしても常識のレベルも上げていきたい。

▲チームでエースとしての理想像とプレッシャーの狭間に立ち、必死に格闘した



山城弘弐(経営4・コザ)

個人成績 総合268位 65分32秒(チーム10番手)

 

順位が決まった時の気持ち

―本当は13位で入ってほしかったと祈っていた。悔しかったっていうのもあったんですけど、外れてそれが18位という結果で。14位とかで残り3秒とかだったら自分のあと3秒のふり絞りで泣き崩れるというか、そういった感情というのがすぐに表に出ると思ったんですけど、正直力及ばなさ過ぎて無の気持ちというか、言葉に何もできなかったというのが率直な気持ち。落ちたというのが箱根の本戦にもつながらないということにもなるので、悔やんでも仕方がない。ごめんとか申し訳ないといっても後輩たちを箱根に連れていけないので、本当にその場で黙り込む感じだったのが終えての状況だったなと感じています。


自分の走り

―気温も涼しくて、ハイペースになっていくのが3―4キロ、5キロになってもずっと2分56秒。本来なら3分から2秒とか一桁を押す感じになるんですけど、駐屯地を全部3分を切って走るっていうのは今までにないレースの展開であって、今まではそんなことはなかったので、そこに物怖じせずに10キロくらいまでずっと同じペースでついて行けていて、去年は7キロとかで落ちちゃって全然走れなくというのがあって。本当に10キロ過ぎてからの自信はあって公園内も粘って耐える走りをしようと思ったんですけど、毎回そうなんですけど、公園内入ってからの粘りがまだ課題点が残ったまま。いくら前半入ったから後半落ちてしまったとは言え後輩たちはそこでも耐えて、なんならもっと上のタイムも狙っていけるようなラップで走ってくれているので4年生としては何も言えなというか。自分の力がまだまだ足りていない。及ばなかった。平坦できつくなってからアップダウンに対応できていないことが今回も課題点として残ってしまいました。


事前にどれくらいのペースでいくかは決まっていたか

―決まっていたんですよ。ただ、そもそも最初が早すぎてレースプランとしては崩壊して、あとは自分で考えて走らなきゃいけないと思っていた。自分が早く入ったとしても後ろから追い抜いていったりとかすることが多かったので、ペースが速いから落としたいなという考えは薄かったというか、前につかないといけないから落とすことはできないので

本来なら15分10、10、30、40で押さなきゃいけないところを最初10キロは(設定タイムを)切っていたので、本当は公園内で15分30とかがベストになるんですけど、そこで一気に落ちちゃった。その場で臨機応変に考えていくのがハーフだと思う中で、ペースを落とすのではなく攻めの気持ちで走りました。


夏合宿の出来や予選会に向けての自信は

―(夏前までに)練習の内容以上の結果を残せなかったので、みんなができる練習よりプラスアルファでやったほうがいいのではないかという提案を聞いて、30キロ走をプラス5キロ増やして35キロにしたりとか、自分だけ少し変えようというか。それを全部こなしていて、そのあとの選考に関わる練習も全部できていた。そういった部分で自信はあったんですけど、最後までの気持ちの持ち方がまだまだ弱いのかなと感じました。ハーフの21.0975キロというのは練習ではやらない。大体14キロで押していく。でも、14キロで終わってすべてを出し切ってしまうという練習の終わり方がダメだったのかなと思っていて。余裕で終わるべきところを全然終えることができなかったという部分が自分の力を信じ切ることができなかったと思っています。


予選会前に4年生同士で話はしていたか

―10月の1日の学年ミーティングで目標を話したり、これが通らなければ箱根はないと気を引き締めてやっていたんですけど、やはり3年間チームが箱根に出ていて、誰も言っていないんですけど多分みんなの中では13枠まで増えているし、いつも通りの力を発揮すれば通れたのかなという雰囲気であったので。みんなで頑張ろうという士気は高まっていたと思うんですけど、他大学さんの予想外の結果というか、そこまで考えている4年生は誰一人いなかったと思うので、もっと気を引き締めるというか目標を高く持ってやるべきだったのかなと思います。


山城選手は競技を引退する

―そうですね。11月まではトラックで出ようかなと考えていて、そこで少し走ってみたいなと思っている。


簡単に4年間を振り返ると

―1年目は高校時代にケガしていたものを引きずっていて、中々ほかの1年生が練習しているのを眺めているというか。そういった状況からのスタートで、復帰しても長年のブランクで走ることができなくて、夏も本当にBチームで追うことも精いっぱいで、Aチームにも遠く及ばず。予選会にも遠く及ばずの実力だった時と今4年目を比べたら、本当に成長は間違いなくできたのかなとは思っていて。結果がすべての競技で箱根を走ってチームに貢献するというのが理想になっちゃうんですけど、過程のほうだけを見たら成長していてどんなにひどいレースだったとしても落ち込まず4年間その目標(箱根)に向かって頑張ることができて、悔しいことが大きいんですけどそういったものが無駄だったとは自分では思いたくない。少しは自分を褒めたいと思っている。



和田晴之(経営1・三浦学苑)

個人成績 総合299位 65分50秒(チーム11番手、初記録)

 

順位が決まった時の気持ちは

―自分は走りながらチーム内11番、12番というのがわかっていたのでもうその時点でチーム貢献できていないという不甲斐なさとここまで走れないかという失望というか、申し訳ないという気持ちがあって。チーム順位が18位と分かった時に、自分がチーム内上位で走って稼ぐべきだったと思いますし、合宿も上位で練習してきたのでやるべきだったんですよ。でもできなくて、4年生を卒業させてしまう形になって本当に申し訳なくて、不甲斐ないという気持ちだけでした。


今日は自分の中でのタイムは決めていた

―監督からミーティングでお話しされたときに設定があって、64分30秒というのが目標とされていて自分でもそこは最低限目標にはしていたんですけど。今言ってもただの言い訳になってしまうんですけど、ちょうど一週間前に脚が痛くて痛みが出てしまって、もう走れなく調整も全然うまくできなくてその時点で64分30秒というのは厳しいと内心感じていたんですけど、ここまで落ちちゃうかというのと自分の調整不足というか、少し気が緩んでしまってこういう結果になってしまった。


脚を痛めたのは思い当たる節は

―全然なくて。6日前に調整の練習があって、終わった後になんか違和感があって次の日には激痛というか、かなり痛くてもうチーム状況的にも自分が走るしかなかったので痛み止め飲んででも出たんですけど…。


では今日は最低限の走りをしてというところが一番の目標だった

―そうですね。


今日も脚が痛んだ

―そうですね。痛み止め飲んでも効かなくて、アップから痛くて…。


最後のほうはボロボロだった

―かなり痛くて、そのことしか考えられないというか、全然レースにも集中できなくて、一週間前に痛くなった時点でそこで負けていたので。


予選会走ると決まったのはいつ

―ちょうど調整の練習が終わった日だったんですけど、チーム的にもう走るしかなかった。


ここまで大学での陸上を振り返って

―自分的には考えている理想通りに。途中ケガもあったんですけど、トラックで29分40秒、ハーフも2回経験して夏合宿からの復帰だったんですけど、しっかり積めていざ箱根予選というところで脚が来てしまって。もったいないかなという風に思います。


来年の目標は

―本当は今日64分台で走るつもりだったんですけど、来年はもう、最低でも64分台。ただ、同期とか、大西(裕翔、文1・京都外大西)とか見ても全然早いので。64分切るくらいのつもりで。

 

 

田島洸樹(経営4・学法石川)

個人成績 総合366位 66分42秒(チーム12番手)

順位が決まった時の気持ち

―ここまでだったかという実感はなかったです、正直。こんなに悪いとは思っていなかった。


苦しいレースになったが

―個人的には、想定する1番最悪なレースになってしまって。ひと夏練習は積めたんですけど、決して調子は自分の中ではそんなに良くない中で練習ができていて。その分しっかり合わせられれば良い走りはできると思っていたんですが、直前の大事な14キロの練習も脚の状態が悪くてできなくて。そのあと数日休んで今回臨んだ。逆にそこの数日で疲労が抜けて良い状態になって、プラスに捉えてそこからの調整は順調にこれたんですが。ちょっと過信しすぎたというか…。なかなか、そうですね。苦しい走りに。


苦しくなったのはどこ

―5キロは想定より早く入って、その時のきつさはそんなになかったんですけど、8キロぐらいで体が熱くなってほてって頭痛がしてきてすぐ給水が欲しくなるくらい。8キロで給水とれたんですけど、そこから市街地に入って暑さっていうのが自分の中ですごく苦手だったのでそこの面で弱さが出て、少し脱水気味になって完全にふらふらというか力入らずに。

▲駐屯地の終盤から田島を異変が襲った

チーム全体の走りは

―ほぼ想定通りというか、誤差ぐらいで来ていたと思う。それ以上にほかの大学が強かったというので、まだまだ私たちの基準が低かったなというのがあります。


直前のチームの雰囲気は

―体調不良とか、主力のエントリーができなかったところで少し厳しいんじゃないかという流れができていたので、私として前向きに行けるって声かけをしていたので。直前は集中していたので大丈夫だったんですけど、少しごたついて今年の箱根(99回本戦)と同じような感じで。あとは走るべき人が走れなかった。私もそうですけど、野下(稜平、経済4・鳥栖工業)とか手塚とか、というのが出たのかなと。


4年生で見たときは

―やっぱり学生スポーツは4年生が重要で他の大学も通過しているのは4年生がしっかりまとめてきた大学が多い中で、やっぱり水谷(勇登、経営4・敦賀気比)であったり中山(敦貴、経営4・湘南工科大附)、粟江(倫太郎、経営4・三浦学苑)が走れない状況でかつ私と山城と野下がチームで下のほうで来たので、私たちがというか私が全責任を負うくらい、悪いくらい。まとまりも今年の当初から懸念されていたようになかなか足並みそろわずに通年通して練習できていた人がほぼ私と山城ぐらいでうまくまとまりがいかない状況だったので、そういうところがでたのかなと。


田島選手は競技を続ける。卒業まではどのように活動する

―冬は得意というか、タイムは毎年出してきているのでトラックは10000mで専大記録に少しでも近づけるというのと、5000mでも13分台を出す。そうして実業団のステージにつなげたいなと。


後輩へのメッセージ

―私たちは終わりで、1、2、3年生にとってはこの負けがチャンスであって、これまで3年連続通過してきて負けを知らない世代が続いてきてここで一つ負けを知れたというのはプラスに捉えてほしい。次があるので悲観せず、生かすためにどうすればいいのかっていうのを全員で相談しながらやっていってほしいなと。




取材・文=相川直輝(文4)、河上明来海(文3)

写真=相川、竹田一爽(文2)