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2017.10.23
野球

【野球部】ドラフト直前特集 髙橋礼・単独インタビュー

  9月29日、専修大学野球部から髙橋礼(商4・専大松戸高)がプロ野球志望届を提出。目標のプロ野球選手になるためのプロ野球ドラフト会議を目前に控えた。


  そこで、専Sation18号で掲載した単独インタビューの内容をWEB上で公開。大学4年間の思いがつまったインタビュー内容となった。※紙面と変更点が一部ありますがご了承ください。(インタビューは今夏に実施)


▲インタビューに応じる髙橋。これまで野球人生を振り返った。




―野球を始めたきっかけ

母親に小学1年生の時、「ソフトボールをしてみないか」と言われて4年生まで続けました。そして、5年生の時に硬式野球で本格的にやりたいと思って、ボーイズに入りました。ソフトボールでは内野を守ることが多くてその時はピッチャーをやりたいという思いはなかったです。でも、4年生の時にピッチャーをやることになって、もし、上で続けるならこのままソフトボールをやっていても意味がないと思ったので硬式野球を始めました。


―高校時代を振り返って

学校が家から近かったこととその2年前に持丸修一さんというすごい方が監督に就任されて、その人の元で野球をやりたいと思って専大松戸高校を選びました。1、2年生の時は人間性など野球以外のことでよく叱られていましたね。今、大学まで続けることができているのはその頃のおかげなのかなと思います。3年生では投げる機会が多くなって、結果を求めてやるということを学びました。中でも、印象に残っていることは千葉県1位として出場した2年の春季関東大会。初戦で先発して、コテンパンにされた覚えがあります。調子に乗っていた自分の鼻を折られるような感じで、「何もできなかったんだな」っていう風に力不足を感じました。気持ちよりも技術的なものが足りなかったことを痛感して、その後の練習でもより一層、身を入れて練習するようになりましたね。


―舞台は大学野球へ

やりたいとは思っていなかったんですが、持丸さんに勧められて、「持丸さんの言うことなら間違いない」と思い、続けようと思いました。持丸さんが専修大学に進む後押しをしてくれましたね。入ってからは、高校の延長という感じで、自分は高校から自主性を重視するチームだったので、大学に入っても自主練をしたり特に変わらず馴染んでいけました。自分のミスは自分で責任を取るっていう面で高校と変わらないですね。


―大学初登板

初登板は東洋大戦だったんですけど、初登板の少し前に、齋藤監督の知り合いのJFE東日本のコーチの方に指導してもらって、そのことをやってみようと試した結果、うまくいったので、こうやっていけば抑えられるんだなと少しずつ感じていきましたね。真っすぐの時は手首を立てて投げること、身体の近くでボールを離すこと、あと、シンカーの握り方を二種類教わりました。それまでシンカーを武器にできていなかったので、それからシンカーを決め球にも使えるようになりました。その教えてもらった何点かがその日のテーマだったと思います。大学で苦しいと感じ始めたのがここ2年間だったので、1、2年生の時はキャッチャーの方にも恵まれていて、自分のピッチングをしていればそんなに苦しい思いはしなかったですね。


―主に、バッテリーを組んだ時本亮(平28卒・現東芝)捕手について

基本、ピッチャーは投げることがメインで配球のことはそこまで考えないですけど、それにしても、時本さんに頼りっきりだったなと思いますね。「お前のボールは構えたところに投げれれば絶対打たれない」といつもおっしゃってくれて、とにかくそれを信じて、構えたところに投げていました。

▲マウンド上で(写真右)時本捕手に声をかけてもらう当時2年の髙橋



―1年秋の入れ替え戦について

そこまで覚えていないですけど、それまで2部で投げていた時と同じで時本さんが構えたところに投げれれば大量失点につながることはないと思いましたね。「しっかり構えたところに投げきろう」という思いで投げていました。昇格が決まった時はよくわからなくて、「1部でどうやって戦っていけばいいんだろう」、「1部に上がったのにまた2部に落ちるのは嫌だな」という気持ちでした。

▲当時、1年の髙橋。1部昇格をグラウンドで経験した(写真、左から3番目)。



―2年春のリーグ戦

大野(亨輔投手、平28卒・現三菱日立パワーシステムズ)さん、時本さんなど、当時の4年生が一生懸命引っ張ってくれていたので、それについていくっていう感じでした。開幕6連勝をして、流れが良くて、自分もいつも勝ちゲームで出してもらえて、野球が楽しかったです。優勝できたのは、大野さんが頑張ってくれたことだと思います。そんなに自分は活躍してないですし、どちらかというと打たれた試合も多かったです。大野さんが優勝に導いてくれたので、大野さんに感謝していましたね。

▲当時2年春の髙橋。リリーフとしてフル回転、1部優勝に貢献した。



―全日本選手権出場

東都で戦っているからには地方のリーグには負けたくなかったですね。(東京)六大学とやる時が一番楽しみでしたけど、地方の大学には間違っても負けたくないと思っていました。(対早大戦について)緊迫した場面での登板だったんですけど、こういう舞台で投げさせてもらえるのは本当に幸せだなと思いました。打たれてしまったんですけど、絶対にこの経験が次に生きるって思って、前向きな気持ちでグラウンドをあとにできたと思います。

▲全日本選手権(対京都学園大戦)、東京ドームで登板した髙橋。この試合もリリーフとしてマウンドに上がった。



―大学日本代表選出

実力で選ばれたというよりはその時の調子が良かったからだと思いますね。その調子で夏もジャパンで投げれたらいいと思いました。その時に選ばれた投手は、全員プロに入ったので自分だけプロに入れなかったら嫌だなと思っています。そういう気持ちは常に持っていて、自分もそのメンバーと野球をやったという意味ではその時の投手全員がプロにいくっていうモチベーションはありますね。その中でも、柳(裕也投手、明治大卒・現中日)さんはコントロールが良くて、変化球も多彩、真っすぐももちろん速いですし、投手としての引き出しがたくさんあったので、もし調子が悪くても次の引き出しを開けてピッチングができますし、ランナーが出ても色々な引き出しを持ってきて、抑えていたのですごいなって思いましたね。

▲写真左、濱口遥大投手(現横浜DeNA)。写真右、柴田竜拓内野手(現横浜DeNA)。髙橋は、当時2年生投手として唯一大学日本代表に選出され、現在プロ野球の第一線で活躍する選手たちとともに戦った。



―上級生として、迎えた昨年

やっぱりキャッチャーが代わったことで、変わりましたね。自分としてもわからないことも多くて、「配球も自分で考えろ」って言われるようになったんですけど、時本さんに任せっきりだったので、時本さんが卒業して、本当に自分の実力がなかったんだなと感じるようになりました。春はまだマシだったんですけど秋は特に森山(恵佑外野手、平29卒・北海道日本ハム)さんたちに迷惑をかけてしまったり、キャッチャーの人にも自分のわがままを言っていました。構え方であったり、配球だったり、特に盗塁の時のセカンド送球は時本さんから代わった途端に悪くなったので、「時本さんくらいやってくれなきゃ困る」っていう風に注文をつけていました。色々な注文をつけたのに自分としても、結果が出なかったので、本当に苦しかったですね。

▲当時3年の髙橋。チームを牽引してきた先輩たちが抜けチームが低迷していくとともに髙橋自身の成績も次第に低迷。フォームの試行錯誤などに励むも結果は伴わず苦しい年となった。



―ここまでの大学3年半を振り返って

野球の難しさであったり、そんなとんとん拍子にはいかないなっていうことは強く感じましたね。1人で野球はできないですし、守ってくれる人がいて、自分はピッチングすることができることを改めて感じることができました。印象に残ったことは色々ありますけど、1番は最近の入れ替え戦で負けたことですね。優勝したりして勝った時は幸せな気持ちでいれますけど負けた時はずっと引きずっていくので、悔しいという気持ちは負けた日からずっと持っています。


―3年半で学んだこと

3、4年生の時、特に野球の怖さ、1球の怖さを強く感じて、その1球で流れが変わってしまうことをこの大学野球で学びました。入れ替え戦の初戦で7回にフォアボールを出して、それまでヒットを打たれていなかったんですけど、それから4番にヒットを打たれてノーヒットノーランもなくなって、いきなりリズムが崩れて5点取られたというのはそのフォアボールの4球目のボールが流れを変えたかなと思いますね。


―3年半で1番調子が良かった時期

大学日本代表とプロの壮行試合だと思います。1イニングだけではあったんですけど、そこでプロを相手に三振も取れましたし、三者凡退に打ち取って、今、一軍で出ている人を相手に対等に投げれたというのは良かったと思いますね。プロの世界はどういうものなのかを知るためにも良い経験になりましたし、プロへの意識が少しずつ明確に見えてきたのはありましたね。

▲NPB選抜との壮行試合でマウンドに上がった髙橋。現在プロ野球で活躍する選手たちを相手に堂々の投球を見せた。


―齋藤正直監督について

齋藤監督とは色々な話をしますし、怪我した時も親身に対応してくれるので、父親みたいな存在ですかね。齋藤監督に言われてきたことの中では、「どんなにランナーを出してもバッターさえ抑えればいい、点を取られなければいい」とおっしゃっていただいたことが印象的でした。

▲齋藤監督が専修大学野球部監督に就任と同時に髙橋ら現4年生も入部。4年間、齋藤監督の元で指導を受けた。



―目標の投手

西武ライオンズの牧田和久投手です。今のフォームの土台は牧田投手の真似から始まっていますし、フォームのことで悩むことがあればとりあえず真似してみて、良い球がいったりして良かったら、そのフォームでいきますし、ダメなら違う方法を考えるっていう感じでやっています。この間のWBCでの投球は2回以上見ましたし、高めの真っすぐが有効に使えていて、それがあって外の変化球にバッターが手を出すっていうような好循環を生んでいたので自分もそういう投球術をもっと確立していきたいと思いましたね。


―プロへの意識

こだわりはありますけど、今は結果が求められているのでしっかり結果を出した上でプロにいきたいです。プロの世界で、プロの指導を受けて、野球をしたいという思いはありますね。


―同級生である4年生への思い

自分らの代は数人しか試合に出ていなくて、ほとんどが下級生ですけど、それでも応援してくれていて、その中で、自分に託しているっていう部分は大きいと思うので、最後の秋は4年生のそういう気持ちも背負って、やっていきたいですね。

▲4年秋、2部リーグで登板する髙橋。さまざまな思いを背負って臨んだ大学最後の秋だったが、1部昇格は叶わなかった。



―最後のシーズン

 自分自身の結果にもこだわりつつ、1部に上がれるチャンスがもう1回あるので、しっかり2部で鍛え直して、秋にもう1回入れ替え戦にいきたいです。春の入れ替え戦で久々に勝って、「勝つってこういう感じなんだな」って改めて思いましたし、勝つ喜びは何にも変えられないかなって思うのでその時の嬉しい、楽しいという思いをまた大学生のうちに感じられればと思いますね。

▲今春入れ替え戦で登板し、(写真右)深水裕貴(経営2・熊本工高)とハイタッチを交わす髙橋。髙橋の思いは後輩たちへ受け継がれる。



  大学最後の秋、髙橋は最終週の拓殖大戦を残し、2度の完投、また4勝をあげるなどチームに貢献。しかし、打線の援護少なく、髙橋自身も勝負どころで踏ん張れない場面もあり1部昇格は叶わなかった。


  栄光から挫折までを味わった大学4年間。この経験を胸に、次なるステージへ。10月26日に行われるプロ野球ドラフト会議での吉報を待つ。




(大河原佳也・文3)



 ◯今回のインタビューは、専スポが制作したフリーペーパー「専Sation」の最新号に掲載されています。

  本誌には髙橋投手の迫力ある写真も掲載されていますので、保存版としてぜひお手に取りください!定期購読も随時募集しております。